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甲府地方裁判所 昭和50年(ワ)220号 判決 1989年5月10日

原告

岡﨑弘美

右法定代理人親権者父兼原告

岡﨑征好

右法定代理人親権者母兼原告

岡﨑ちえ

原告

渡邊征美

右法定代理人親権者父兼原告

渡邊征雄

右法定代理人親権者母兼原告

渡邊一子

原告

梶原剛

右法定代理人親権者父兼原告

梶原東亜

右法定代理人親権者母兼原告

梶原静枝

原告

宮下マミ

右法定代理人親権者父兼原告

宮下和文

右法定代理人親権者母兼原告

宮下一榮(兼亡徐順子訴訟承継人)

原告

徐紀子亡徐順子訴訟承継人

原告

青井良子亡徐順子訴訟承継人

右両名法定代理人親権者父兼原告

青井義侑

右原告ら訴訟代理人弁護士

葉山水樹

角南俊輔

古瀬駿介

川端和治

尾崎純理

横田幸雄

吉川孝三郎

木内俊夫

伊藤まゆ

大川宏

大川育子

近藤勝

霜島晴子

村上愛三

山岡正明

丸田哲彦

榊一夫

吉田恵二郎

太田宗男

仲田信範

藤森勝年

被告

右代表者法務大臣

高辻正己

右訴訟代理人弁護士

水沼宏

右指定代理人

相澤光彦

外九名

被告

甲府市

右代表者市長

原忠三

右訴訟代理人弁護士

新野慶次郎

鬼丸かおる

被告

富士吉田市

右代表者市長

渡辺皓彦

右訴訟代理人弁護士

江橋英五郎

右訴訟復代理人弁護士

鬼丸かおる

松井文章

被告

山梨県

右代表者知事

望月幸明

右訴訟代理人弁護士

細田浩

右指定代理人

佐野正人

外四名

被告

医療法人加納岩病院

右代表者理事

中沢忠雄

右訴訟代理人弁護士

岡島勇

饗庭忠男

畔柳達雄

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  別紙請求の趣旨目録被告欄記載の各被告は、当該原告欄記載の各原告に対し、各自当該請求金額欄記載の各金員及びこれに対する当該付帯請求起算日欄記載の日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(各被告)

主文同旨

(被告国及び同山梨県)

担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告岡﨑弘美(以下「原告弘美」という。)は、父原告岡﨑征好(以下「原告征好」という。)と母原告岡﨑ちえ(以下「原告ちえ」という。)の二女である(以下原告弘美、同征好及び同ちえを「原告岡﨑ら」という。)。

(二) 原告渡邊征美(以下「原告征美」という。)は、父原告渡邊征雄(以下「原告征雄」という。)と母原告渡邊一子(以下「原告一子」という。)の長女である(以下原告征美、同征雄及び同一子を「原告渡邊ら」という。)。

(三) 原告梶原剛(以下「原告剛」という。)は、父原告梶原東亜(以下「原告東亜」という。)と母原告梶原静枝(以下「原告静枝」という。)の長男である(以下原告剛、同東亜及び同静枝を「原告梶原ら」という。)。

(四) 原告宮下マミ(以下「原告マミ」という。)は、父原告宮下和文(以下「原告和文」という。)と母原告宮下一榮(以下「原告一榮」という。)の二女である(以下原告マミ、同和文及び同一榮を「原告宮下ら」という。)。

(五) 原告徐紀子(昭和四八年四月五日生まれ。以下「原告紀子」という。)は、父原告青井義侑(以下「原告義侑」という。)と母亡徐順子(以下「順子」という。)の長女である。順子の国籍は、韓国であった。原告義侑は、原告紀子を昭和五〇年一〇月二一日に認知し、原告義侑と順子は、昭和五一年一二月一四日に婚姻した。順子は、本訴提起後の昭和五八年三月一五日に死亡し、韓国民法の規定により、夫原告義侑、長女原告紀子及び二女原告青井良子(以下「原告良子」という。)がそれぞれ三分の一ずつその地位を相続した(以下「原告紀子、同義侑及び同良子を「原告徐ら」という。)。

(六) 被告甲府市は、同市内において、市立甲府病院を設置してこれを管理運営している。

(七) 被告富士吉田市は、同市内において、富士吉田市立病院を設置してこれを管理運営している。

(八) 被告山梨県は、甲府市内において、山梨県立中央病院を設置してこれを管理運営している。

(九) 被告医療法人加納岩病院(以下「被告加納岩病院」という。)は、肩書地において、加納岩病院を経営している。

2  診療契約

(一) 原告ちえは、昭和四六年一一月一七日、市立甲府病院で原告弘美を出産したが、原告弘美は在胎二八週四日、生下時体重一四〇〇グラムの未熟児であった。そのころ、原告征好及び原告ちえは、被告甲府市との間で原告弘美の診療、保育を目的とする診療契約を締結した。

(二) 原告一子は、昭和四六年五月二一日、富士吉田市立病院で原告征美を出産したが、原告征美は在胎三一週、生下時体重一四七〇グラムの未熟児であった。そのころ、原告征雄及び原告一子は、被告富士吉田市との間で原告征美の診療、保育を目的とする診療契約を締結した。

(三) 原告静枝は、昭和四七年一月二四日、中島医院で原告剛を出産したが、原告剛は在胎二八ないし二九週、生下時体重一三〇〇グラムの未熟児であった。同医院には未熟児保育の設備がなかったので、原告剛は直ちに山梨県立中央病院に転院した。そのころ、原告東亜及び原告静枝は、被告山梨県との間で原告剛の診療、保育を目的とする診療契約を締結した。

(四) 原告一榮は、昭和四八年三月二六日、奥脇医院で原告マミを出産したが、原告マミは在胎三二週、生下時体重一五〇〇グラムの未熟児であった。同医院には未熟児保育の設備がなかったので、原告マミは直ちに富士吉田市立病院に転院した。そのころ、原告和文及び原告一榮は、被告富士吉田市との間で原告マミの診療、保育を目的とする診療契約を締結した。

(五) 順子は、昭和四八年四月五日、中島医院で原告紀子を出産したが、原告紀子は在胎八か月、生下時体重一五〇〇グラムの未熟児であった。同医院には未熟児保育の設備がなかったので、原告紀子は直ちに加納岩病院に転院した。そのころ、順子は、被告加納岩病院との間で原告紀子の診療、保育を目的とする診療契約を締結した。

3  未熟児網膜症罹患

(一) 原告弘美は、昭和四六年一一月一七日から同年一二月一一日までの間、市立甲府病院において、保育器内で酸素の投与を受けたために、未熟児網膜症(以下「本症」ともいう。)に罹患し両眼を失明した。

(二) 原告征美は、昭和四六年五月二一日から同月二四日まで及び同月三〇日から同年六月一六日までの間、富士吉田市立病院において、保育器内で酸素の投与を受けたために、本症に罹患し両眼を失明した。

(三) 原告剛は、昭和四七年一月二四日から同年三月二日までの間、山梨県立中央病院において、保育器内で酸素の投与を受けたために、本症に罹患し両眼を失明した。

(四) 原告マミは、昭和四八年三月二六日から同年四月一八日までの間、富士吉田市立病院において、保育器内で酸素の投与を受けたために、本症に罹患し両眼を失明した。

(五) 原告紀子は、昭和四八年四月五日から同年五月一五日までの間、加納岩病院において、保育器内で酸素の投与を受けたために、本症に罹患し両眼を失明した。

4  未熟児網膜症とその原因

(一) 本症は、保育器内の未熟児に過剰な酸素を供給することにより、未熟な網膜に起こる病変で、網膜血管の迂曲怒張に始まり、血管の新生と異常増殖をきたし、進行悪化すれば、重度の視力障害ないし網膜剥離による失明に至る疾病である。

(二) 本症の原因が過剰な酸素投与にあることは、①欧米諸国において閉鎖式保育器の使用に伴って本症が増加したこと、②K・キャンベルの統計的調査、③アシュトン、パッツの動物実験、④M・クロス、パッツ、ランマン、キンゼイらによる比較対照人体実験、⑤米国小児科学会が酸素の過剰投与を戒める勧告を出してから、欧米においてそれまで多発していた本症(当時は後水晶体線維増殖症(RLF)と呼ばれていた。)の発現が激減していること、その他内外の多数の研究により明らかである。

酸素を投与しないのに本症に罹患する例もあるが、それは例外的な事例である。

5  外国での未熟児に対する酸素療法の変遷

(一) 閉鎖式のアイソレット型保育器は、一九三八年(昭和一三年)に米国で初めて製作され、一九四〇年代に市販されるようになった。そして、そのころから未熟児の治療に酸素が一般的に用いられるようになった。未熟児に酸素を投与するのは、呼吸障害やチアノーゼが強い場合にそのまま放置すると、低酸素血症となり、脳障害を起こしたり、死亡したりする危険があるからである。しかし、当初は無制限に高濃度の酸素(六五ないし八〇パーセント)を投与していたために、一九四〇年代後半になると、本症による失明の多発が報告されるようになり、深刻な事態となった。

(二) 一九五一年(昭和二六年)、K・キャンベルは、酸素投与法の異なる未熟児間の本症発生率を統計的に調査し、本症の発生が酸素投与に関係していることを推論し、M・クロス(一九五二年)、パッツら(一九五二年報告)、ランマンら(一九五四年報告)及びキンゼイら(一九五六年報告)は、比較対照人体実験により、酸素の過剰投与が本症の要因であることを明らかにした。一方、アシュトン及びパッツは、高濃度の酸素が新生動物の網膜に病変を引き起こすことを実験的に証明した。

(三) 右のような研究の成果を受けて、一九五四年(昭和二九年)、米国眼科耳咽喉科学会のシンポジウムにおいて酸素投与に関する次のような勧告がなされるに至った。

① 未熟児に対しルーティンな酸素投与を中止する。

② チアノーゼあるいは呼吸障害の兆候のあるときにのみ酸素を投与する。

③ 呼吸障害がとれたら直ちに酸素療法を中止する。

右勧告が実施された結果、本症の発生頻度は劇的に減少した。

(四) 一九五五年(昭和三〇年)、米国カリフォルニア州衛生局は、全医師に向けて酸素投与に関する勧告をなした。右勧告中には、持続的酸素治療の指示は医師が一日ごとに更新すべきこと、少なくとも八時間ごとに分析器で酸素濃度が測定されるべきこと等が記されている。

(五) 一九五六年(昭和三一年)、米国小児科学会も前記(二)の研究成果を踏まえて、次のような勧告を出した。

① 酸素は、医師の指示によって与える(緊急時を除く。)。

② 酸素はルーティンに与えず、医学的適応のある場合に限って与える。

③ 酸素濃度は酸素不足による症状を救うことができる最低限度に保つこと、できれば四〇パーセントを超えないこと。

④ 酸素投与は適応がなくなったらできるだけ早く中止すること。

⑤ 酸素投与の適応は全身のチアノーゼ(末梢チアノーゼではなく)と呼吸困難である。

一九五七年(昭和三二年)に刊行された米国小児科学会の「新生児の病院内ケアーのための基準と勧告」では、更に以下の項目が加えられた。

⑤ 全身性チアノーゼと呼吸困難の治療が緊急に必要かどうかは、医師の臨床的判断による。

⑥ 酸素濃度は酸素分析器によって測定しなければならない。また、安定した濃度に保つために必要なだけ頻回に、少なくとも四時間ごとに測定しなければならない。

⑦ 四〇パーセント以上の酸素濃度にならないような装置は、酸素が過剰にならないことを保証するであろうが、もっと高濃度酸素の適応例のためには別の酸素供給装置が必要である。

⑧ 五ポンド以上の子供への酸素投与にははっきりとした禁忌はない。

米国小児科学会は、一九六四年(昭和三九年)にも右の一九五六年、五七年のそれとほぼ同様の勧告を出している。

(六) 一九六二年(昭和三七年)、ウォーリーとガードナーは、酸素投与をする際には、一度チアノーゼが消失するまで酸素濃度を高め、消失したら次第に濃度を下げて、再びチアノーゼが軽く出現する濃度を見いだし、以後はその濃度にその濃度の四分の一を加えた濃度を投与するのが適切であるとする方法(以下「ウォーリー・ガードナー法」という。)を発表した。これは臨床の場で容易に実行できるものであり、具体的基準として優れたものであった。

(七) 一九六二年(昭和三七年)四月七日、世界保健機構(WHO)により世界保健デーが開催され、「視力保護・失明防止」のテーマで次のような報告がなされた。「未熟児を育てるのに酸素を用いるが、酸素を与えすぎた場合、失明という新たな危険を招く。」、「未熟児に対する酸素の使用は現在では三〇パーセントの安全濃度に制限され、この病気は完全に消滅した。」

(八) その後、本症の予防のためには保育器内の環境酸素濃度を調節するよりも、動脈血酸素分圧(以下「PaO2」という。)を指標として酸素を投与する方がより正確であり、PaO2が四〇水銀柱ミリメートル(以下単位を「mmHg」と表記する。)になるとチアノーゼが現れ、一五〇ないし一六〇mmHgを超えると本症の危険があるとする研究がなされたので、一九六八年(昭和四三年)、米国カリフォルニア州衛生局は、高濃度酸素投与はPaO2の測定によってモニターされるべきことを勧告した。

一九七一年(昭和四六年)、米国小児科学会も次のような勧告を出した。

① PaO2は、一〇〇mmHgを超えることなく、六〇ないし八〇mmHgに保つべきである。

② PaO2の血液ガス測定ができない場合、成熟児であれば全身性のチアノーゼを消失せしめるに必要な最小限の濃度で酸素を投与してもよい。ただし、未熟児の場合は、測定可能な病院へ移送されるべきである。

③ 酸素療法中は、少なくとも二時間ごとに酸素濃度を測定すべきである。

④ 酸素は他の器官(例えば肺)にも毒性を有することを認識すべきである。

上記の基準に従ってもなお障害を与える可能性のあることを銘記すべきである。

(九) 右のような酸素投与法の変遷の結果、一九七〇年代の米国では、極小未熟児の生存率が増加すると共に、数年間本症の発生のない病院も現れるようになり、欧米においては本症は過去の疾病とさえ言われるようになった。

6  日本での未熟児に対する酸素療法の変遷

(一) 昭和二〇年代後半には、本症が酸素投与と関係があるとする海外の学者らの研究が紹介され、本症についての関心が全国的に高まった。

厚生省は、昭和二九年八月一九日、「未熟児の生理・養護及び疫学に関する研究」というテーマで久慈直太郎らに研究を命じた。昭和三〇年四月に提出された分担研究者馬場一雄及び藤井としの報告書には、諸外国では本症が最近急激に増加し、失明の原因として重要視されていること、本症の発症は酸素の供給と関係があると言われていることなどが記載されている。

(二) 昭和三〇年代前半には、眼科、小児科、産科の研究者により本症に関する多数の報告がなされ、また、厚生省の後援による「未熟児シンポジウム」(昭和三二年)や「未熟児講習会」(昭和三四年)が大学教授、病院勤務医師、行政官の参加を得て開催された。

右「未熟児講習会」の内容は、昭和三五年三月に「未熟児シリーズ第三集未熟児疾患の病理及び治療」として出版された。同書は酸素投与が本症の原因になるという説や酸素を継続投与する場合には三〇パーセントの濃度を超えないようにすべきであるとする後記M・クロスの説等を紹介し、注意を喚起している。

この時期に刊行された多数の文献には、本症と酸素との因果関係を前提とした上で、酸素はチアノーゼがあるときなど必要なときに最小限投与すること、酸素濃度は四〇パーセント以下とし、測定の上記録しておくことなどが述べられている。なお、それら文献中の「酸素濃度は四〇パーセント以下とする。」との記載は、「四〇パーセントまでは安全である。」という意味ではなく、「濃度を上げるときは四〇パーセントを超えてはならない。」という趣旨である。

(三) 昭和三〇年代後半には、看護婦や助産婦向けの教科書類にすら本症や酸素投与の基準についての詳細な記述がなされるようになった。また、昭和三八年に未熟児についての世界的権威M・クロスの著書「未熟児」が翻訳され、その優れた研究成果が紹介されたことは画期的である。同書の中でM・クロスは、酸素の使用は酸素がないとチアノーゼが起きる未熟児に限られねばならず、その濃度は原則として三〇パーセントを超えてはならないとしている。

昭和三九年ころから国立小児病院の植村恭夫は日本においても本症が発生しているとして警告をし、未熟児の眼底検査の重要性を強調するようになった。

(四) 昭和四〇年代前半になると、本症の発症には環境酸素濃度よりもPaO2が関係しているとの説が紹介されるようになり、PaO2を測定しながら酸素投与するのが理想であるが、それが不可能な場合、臨床的にはウォーリー・ガードナー法によることを推奨する文献も現れた。

昭和四三年には、日本小児科学会新生児委員会が「未熟児管理に関する勧告」を行ったが、右勧告の中で、酸素投与に関するものは「酸素投与は、医師の指示によって行う。保育器内の酸素濃度は定期的に測定・記録されなければならない。」との一項目があるのみで、不十分極まりないものであった。

(五) 昭和四〇年代後半には、PaO2を測定しながら酸素投与するのが最も合理的であることが説かれ、その測定が困難な場合のウォーリー・ガードナー法も勧められている。

7  酸素投与に関する医師の注意義務

未熟児に対して酸素を投与するときは、後記の酸素適応のある場合に限り、必要最小限の量を投与するのが原則であり、右原則は日本においては遅くとも昭和三〇年代に説かれてから現在まで変わることのない基本であり、その実践方法が医学の進歩により種々具体化されていったのである。すなわち、PaO2の研究によって、より合理的な酸素投与法が提案され実施されるようになってきたが、従来からの、適応の存するときに限って必要最小限の酸素を投与するという原則にはいささかの変更もない。右の原則を守っていさえすれば、脳性麻痺も本症も共に防止することが可能なのである。

原告弘美、同征美、同剛、同マミ及び同紀子(以下「原告児ら」という。)が出生した昭和四六年から四八年当時、未熟児に対して酸素を投与する際に医師が従うべき基準は次のとおりであった。

酸素の過剰投与は本症の原因となるので、必要以上に酸素を投与してはならない。そのために、未熟児の状態を常に注意深く観察して酸素適応があるかどうかについて注意が払われなければならないし、また、未熟児が酸素投与を必要としない状態に至った場合には直ちに投与を中止しなければならない。酸素適応は、①全身チアノーゼのある場合(手足のチアノーゼだけでは酸素使用の適応とはならない。)または②呼吸窮迫(呻吟、肋骨陥没呼吸及び一分間に六〇回を超える多呼吸のうち二つ以上の症状のあるもの)のある場合である。酸素投与をする必要がある場合には、必要な限度を超えた酸素投与をしないために、頻回に酸素濃度を測定しなければならない。そして、酸素濃度はなるべく四〇パーセントを超えないようにすること、酸素投与中はPaO2を測定し、その値が一〇〇ないし一五〇mmHgの範囲内になるように注意すること、PaO2が測定できない場合にはウォーリー・ガードナー法に従うこととされていた。

8  全身管理に関する医師の注意義務

人間の身体は各臓器、器官が相互に影響を及ぼし合いながら一つの生命体として機能しているのであるから、未熟児の生命活動総体を全体として良好な状態に保つことで酸素投与量を減少させることが可能になるし、また予後を良好にし、本症のような合併症、後遺症を少なくすることもできるのである。そして、特に次のような点に留意すべきである。

(一) 体温管理

未熟児は体温調節能力を欠き、環境温度の低下により容易に低体温をきたし、危険な状態に陥るので、適当な環境温度の調整によって、体温を一定の適正レベルに安定させることが未熟児の保育に当たって最も重要なことの一つである。

(二) 栄養管理

従来は生後しばらくを飢餓期間としていたが、近時は低血糖症の危険性の認識に伴い、飢餓期間を短縮したり、ルーティンにブドウ糖液の点滴を行うようになっている。栄養補給の妥当性を判断する指標となるのは体重の推移であり、その標準としてはホルトの体重曲線が広く用いられている。

(三) 黄疸管理

未熟児は核黄疸(高ビリルビン血症による脳障害)を起こしやすいので、黄疸の有無や程度をチェックし、それが強い場合には血液中のビリルビン濃度を測定し、一定値以上の時は交換輸血を行わなければならない。

9  光凝固及び冷凍凝固

(一) 光凝固

光凝固は、瞳孔から射入される光束を網膜の特定箇所に集光して網膜組織及び脈絡膜を加熱凝固し、網膜と脈絡膜の癒着により網膜剥離を阻止したり、病変組織を熱破壊するという治療法である。

天理よろづ相談所病院の永田誠は、昭和四二年に本症に罹患した二例に光凝固による治療を実施し、網膜血管の硝子体内への異常増殖を頓挫退縮させるのに成功し、この成果を同年秋の臨床眼科学会で発表すると共に、昭和四三年四月「未熟児網膜症の光凝固による治療」を雑誌「臨床眼科」に、同年一〇月「未熟児網膜症の光凝固による治療の可能性について」を雑誌「眼科」にそれぞれ掲載した。更に永田は、四例について光凝固を実施し、その検討結果を昭和四四年一〇月の臨床眼科学会で発表すると共に、昭和四五年五月「未熟児網膜症の光凝固による治療Ⅱ」を雑誌「臨床眼科」に掲載した。同論文には光凝固の実践方法も具体的に説明されている。右のような画期的な治療法の開発は専門医の間で大きな反響を呼び、昭和四四年秋以降になると、永田の手法に習って各地で本症に対する光凝固治療が続々と行われるようになった。

永田は、昭和四五年一一月に雑誌「臨床眼科」に掲載した論文「未熟児網膜症」の中で、それまでに光凝固を実施した一二例についての検討を踏まえて、光凝固を行うべき時期と部位についての基準を示した。右の基準は、本症の一般的な症例に対するものとして、各地の専門的医療機関の実践治療に取り入れられた。そして、その後文献的にも光凝固が本症に有効であるとする治療結果が数多く報告されるようになった。

なお、昭和四六年当時全国の病院に設置されていた光凝固装置は六〇台にのぼる。

昭和四九年、厚生省の特別研究費の補助金を受けた植村恭夫を主任研究者とする一二名の医師による研究班(以下「厚生省研究班」という。)が、本症の診断及び治療基準に関する研究を行い、その成果を昭和五〇年八月に雑誌「日本の眼科」に掲載して発表したが、右研究は、単に従来から行われてきた本症の一般的症例(右研究にいわゆるⅠ型及び混合型)に対する光凝固治療診療基準を追認し、特殊例外的な症例(同Ⅱ型)についての実践的治療診断基準を示すと共に、知見の習得を怠っている医師を教化啓発したことに意義があるに過ぎず、右研究による基準の発表まで光凝固または後記冷凍凝固による本症の治療が医療水準として確立していなかったというわけではない。

(二) 冷凍凝固

冷凍凝固は、光凝固における光のかわりに冷却した網膜用ペンシルを用いて凝固を行うもので、その作用原理は光凝固と同じである。東北大学の山下由紀子及び佐々木一之は、永田の本症の光凝固による治療の発表に接し、昭和四五年から本症に対し冷凍凝固による治療を行い、光凝固と同様あるいはそれ以上と思われる結果を得た。山下らは、右結果を昭和四六年の北日本眼科学会で発表し、昭和四七年三月に雑誌「臨床眼科」に掲載し、その術式を具体的に教示したので、右治療法も直ちに全国の医師により本症の治療法として用いられるようになった。

(三) 本症治療についての医師の注意義務

(1) 光凝固による本症の治療は、昭和四二年秋に永田が二例の臨床実験に成功し、その結果を同年秋の学会で発表した時点において、直ちに実践治療に用いることのできる治療法として成立し、次いで、同医師が四例の治療結果を昭和四四年一〇月の学会で発表した時点において、その有効性はほぼ完全に明らかにされ、治療法として確立した。

(2) 冷凍凝固の本症に対する作用は、光凝固とほぼ同じであるから、山下らが本症の冷凍凝固による治療を試みて成功し、その結果を昭和四七年三月に雑誌に発表した時点において、その有効性が承認されると共に治療法として確立した。

(3) したがって、光凝固が治療法として確立した以後に未熟児に酸素を投与した医師は、未熟児に対して、生後第三週から三か月までの間、少なくとも毎週一回の定期的な眼底検査を行って、本症を早期に発見し、適切な時期に光凝固による治療を、冷凍凝固が治療法として確立した以後は光凝固あるいは冷凍凝固による治療を施さなければならないし、かりにこれを実施する人的・物的能力が欠如しているときは、できるだけ速やかにこれらを実施しうる適切な他の医療機関に未熟児を転院させなければならない義務があった。

また、病院の管理責任者は、昭和四二年秋以降は光凝固による治療を、昭和四七年以降は冷凍凝固による治療をも実施できるように、小児科医と眼科医の連携体制を整えた上、未熟児に対し光凝固あるいは冷凍凝固を行うのに必要な器具を病院に備え付けなければならなかった。

10  被告甲府市の責任原因

(一) 未熟児網膜症発症責任

(1) 酸素投与法の誤り

市立甲府病院の瀧沢保之医師は、原告弘美に対し、出生当日である昭和四六年一一月一七日から同年一二月一一日までの間酸素を投与した。しかし、原告弘美は同年一一月二二日には活動性が出てきて、呼吸も規則正しく落ち着き、チアノーゼも消失し、呼吸困難がすっかり軽快していた。したがって、同医師は、同日には酸素投与量を減じて原告弘美の様子を観察する操作を必要な回数繰り返して行い、呼吸困難が発現しないことが確認されたならば同日中あるいはこれに続く一両日中に酸素投与を中止すべきであった。ところが、同医師は、同年一一月二三日以降は、専ら哺乳量、水分の摂取量を指標にして、約一週間の経過ごとに量を漸減しながら酸素を投与していたにすぎず、原告弘美が真に酸素を必要としている状態であるかどうかと無関係に、漫然と長期間にわたって酸素投与を継続した。右のような過剰な酸素投与を原因として、原告弘美は本症に罹患した。

(2) 全身管理の誤り

原告弘美は低体温が続き、栄養補給が不十分であったが、瀧沢医師は、それに対し有効適切な保育措置、医療措置をとらなかった。同医師が行った原告弘美の全身管理は当時の医療水準に照らしても不十分である。

(二) 未熟児網膜症治療責任

原告弘美が出生した昭和四六年一一月当時、本症の光凝固による治療は既に実践医療が適用されるべき治療法になっていた。山梨県下では、山梨県立中央病院に既に光凝固装置が導入されており、同装置の取扱に習熟した眼科医も配属されていた。したがって、市立甲府病院の管理責任者及び瀧沢医師は、本症発症の可能性及び本症に対する唯一の治療法が光凝固であることを認識し、山梨県立中央病院眼科と連携し、光凝固を実施しうる準備を整えた上、原告弘美に対し定期的な眼底検査を行い、発症した本症に対し光凝固による治療を行うべき義務があった。

11  被告富士吉田市の責任原因

(一) 未熟児網膜症発症責任

(1) 酸素投与法の誤り

① 富士吉田市立病院の加賀谷武医師は、原告征美に対して出生当日である昭和四六年五月二一日から同月二四日まで及び同月三〇日から同年六月一六日までの間酸素を投与した。しかし、右のいずれの期間にも原告征美には酸素投与を必要とする症状がなかった。同医師は、原告征美が真に酸素を必要としている状態であるかどうかと無関係に、漫然と長期間にわたって酸素投与を継続した。右のような過剰な酸素投与を原因として、原告征美は本症に罹患した。

② 同病院の渡辺泰猛医師は、原告マミに対して出生当日である昭和四八年三月二六日から同年四月一八日までの間酸素を投与した。しかし、同年三月三一日に酸素の減量を毎分三リットルから一リットルへ減じても、原告マミにはチアノーゼが全く現れなかったのであるから、同医師は、同日以降少なくとも一日一回は酸素量を減らした上で原告マミに全身性チアノーゼが現れるかどうか注意深く観察し、速やかな投与中止をしなければならない義務があったのに、これを怠り漫然と長期間にわたって酸素投与を継続した。右のような過剰な酸素投与を原因として、原告マミは本症に罹患した。

(2) 全身管理の誤り

① 原告征美には極端な体重の減少があるが、これは原告征美に対する加賀谷医師の栄養管理が杜撰であったことを示している。原告征美の体温は同年五月二一日から同年六月二一日までの間測定不能であったが、これは看護婦の経験不足か原告征美の低体温のいずれかの理由によるものであり、前者であれば同病院の診療体制が劣悪であったことになり、後者であれば同医師の体温管理が杜撰であったことになる。結局、同病院及び同医師が行った原告征美の全身管理は当時の医療水準に照らしても不十分である。

② 原告マミはしばしば低体温の状態になったのに、渡辺医師は、保育器内の温度を三一度に設定しただけで、これに対し保育器内の温度を更に上げる等の措置をとらなかった。同医師が行った原告マミの全身管理は当時の医療水準に照らしても不十分である。

(二) 未熟児網膜症治療責任

(1) 原告征美が出生した昭和四六年五月当時、本症の光凝固による治療は既に実践医療に適用されるべき治療法になっていた。したがって、加賀谷医師は、原告征美に対し定期的な眼底検査を行い、発症した本症に対し光凝固による治療を行うべき義務があった。これを自ら実施できなかったとしても、当時既に神奈川県立こども医療センターや横浜市立大学においては眼底検査及び光凝固による本症の治療が行われていたのであるから、原告征美をこれらの病院に転院させる義務があった。

(2) 原告マミが出生した昭和四八年三月当時、本症の光凝固・冷凍凝固による治療は既に実践医療に適用されるべき治療法になっていた。山梨県下では、山梨県立中央病院に既に光凝固装置が導入されており、同装置の取扱に習熟した眼科医も配属されていた。したがって、富士吉田市立病院の管理責任者及び渡辺医師は、本症発症の可能性及び本症に対する唯一の治療法が光凝固・冷凍凝固であることを認識し、山梨県立中央病院眼科と連携し、光凝固・冷凍凝固を実施しうる準備を整えた上、原告マミに対し定期的な眼底検査を行い、発症した本症に対し光凝固・冷凍凝固による治療を行うべき義務があった。

12  被告山梨県の責任原因

(一) 未熟児網膜症発症責任

(1) 酸素投与法の誤り

山梨県立中央病院の小松幹司医師は、原告剛に対して出生当日である昭和四七年一月二四日から同月二六日までの間毎分三リットル、同日から同年二月二日までの間毎分四リットル、同日から同月一四日まで毎分三リットル、同日から同月二五日までの間毎分1.5リットル、同日から同年三月二日までの間毎分一リットルの酸素を投与した。しかし、右のうち同年一月二七日までの間については、毎分三ないし四リットルの酸素投与は過剰に過ぎたし、同月二八日以降は、無呼吸の持続時間が減少し、チアノーゼも認められないので酸素投与の必要がなかった。同医師は、原告剛が真に酸素を必要としている状態であるかどうかとは無関係に、原告剛のPaO2を測定することなく、また、酸素濃度の測定すら行わずに漫然と長期間にわたって酸素投与を継続した。右のような過剰な酸素投与を原因として、原告剛は本症に罹患した。

(2) 全身管理の誤り

原告剛には極端な体重の減少があるが、これは無用に長い飢餓期間をおくなど原告剛に対する小松医師の栄養管理が杜撰であったことを示している。原告剛の体温が不適切な体温とされる三六度を下回ったのは五六日に及び、低体温とされる35.5度を下回ったのは三七日にも及んでいる。しかしながら、同医師は温水マットやブランケットを使用するなどして体温を正常に保つ措置をとらず、低体温により原告剛の全身状態が悪化するのを放置した。結局、同医師が行った原告剛の全身管理は当時の医療水準に照らしても不十分である。

(二) 未熟児網膜症治療責任

原告剛が出生した昭和四七年一月当時、本症の光凝固による治療は既に実践医療に適用されるべき治療法になっていた。したがって、小松医師は、原告剛に対し定期的な眼底検査を行い、発症した本症に対し光凝固による治療を行うべき義務があった。これを自ら実施できなかったとしても、当時既に神奈川県立こども医療センターや横浜市立大学においては眼底検査及び光凝固による本症の治療が行われていたのであるから、原告剛をこれらの病院に転院させる義務があった。

13  被告加納岩病院の責任原因

(一) 未熟児網膜症発症責任

(1) 酸素投与法の誤り

同病院の中沢忠明及び日野原正幸両医師は、原告紀子に対して出生当日である昭和四八年四月五日から同年五月一五日までの間酸素を投与した。しかし、原告紀子には黄疸、低体温及び低体重の状態があっただけであり、呼吸困難やチアノーゼは見られず、およそ酸素投与の必要性はなかった。同医師らは、原告紀子が真に酸素を必要としている状態であるかどうかとは無関係に、酸素濃度の測定すら行わず、漫然と長期間にわたって酸素投与を継続した。右のような過剰な酸素投与を原因として、原告紀子は本症に罹患した。

(2) 全身管理の誤り

原告紀子の体温が低体温とされる35.5度を下回ったのは二八日にも及んでいる。しかしながら、同医師らは保育器内の温度を引き上げたり、温水マットやブランケットを使用するなどして体温を正常に保つ措置をとらず、低体温により原告紀子の全身状態が悪化するのを放置した。また、原告紀子は異常な体重の減少を示している上、黄疸も発現しているが、これらは同医師らの栄養管理及び黄疸に対する措置が不適当であったことを示している。結局、同医師らが行った原告紀子の全身管理は当時の医療水準に照らしても不十分である。

(二) 未熟児網膜症治療責任

原告紀子が出生した昭和四八年四月当時、本症の光凝固・冷凍凝固による治療は既に実践医療に適用されるべき治療法になっていた。また、日野原医師は、光凝固が本症の治療法として有効であることを知っていたし、中沢医師は、同年五月一六日に原告紀子の眼底を診察している。したがって、同医師らは、加納岩病院の眼科あるいはその他の病院に問い合わせるなどして原告紀子の本症罹患を発見し、発症した本症に対し光凝固・冷凍凝固による治療を行うべき義務があった。

14  被告甲府市、同富士吉田市、同山梨県及び同加納岩病院の責任

(一) 医師の注意義務

人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務が要求される。

(二) 債務不履行責任

被告甲府市、同富士吉田市、同山梨県及び同加納岩病院は、その運営管理する病院の医師らを履行補助者として前記2の診療契約の履行に当たらせていたところ、それら医師らの前記注意義務違反により原告児らに両眼失明の障害を負わせたのであるから、その債務不履行により原告岡﨑ら、同渡邊ら、同梶原ら、同宮下ら、同紀子及び順子に生じた損害を賠償する責任がある。

(三) 不法行為責任

同被告らは、医師らを雇用してその運営管理する病院において診療行為に当たらせていたのであるから、民法七一五条により使用者として、それら医師の前記注意義務違反ないし過失行為により原告岡﨑ら、同渡邊ら、同梶原ら、同宮下ら、同紀子及び順子に生じた損害を賠償する責任がある。

また、同被告らは、各病院の設置、管理者として、昭和四二年秋以降は光凝固を、昭和四七年以降は冷凍凝固も適切な時期に行えるよう、小児科医と眼科医との連携体制を整えた上、必要な装置を備えなければならなかったのにそれを怠ったために、原告児らに対するそれらの治療をなし得なかったのであるから、同法七〇九条により、右注意義務違反ないし過失による不法行為によって原告岡﨑ら、同渡邊ら、同梶原ら、同宮下ら、同紀子及び順子に生じた損害を賠償する責任がある。

(四) 期待権の侵害

一般に、医師と患者の医療契約の内容には、単に当時の医療水準によった医療を施すというのみではなく、医療水準の如何にかかわらず緻密で真摯かつ誠実な医療を尽くすべき約が内包されていると言うべきであり、医師が右の義務に反して粗雑・杜撰で不誠実な医療をしたときは、医師のその作為・不作為と対象たる病患について生じた結果との間に相当因果関係が認められなくても、医師はその不誠実な医療対応自体につき、これによって患者側に与えた精神的苦痛の慰謝に応ずる責任があると言うべきである。

仮に、右(二)または(三)の責任が認められないとしても、原告児らに対して担当医師らが行った診療行為が杜撰・不誠実であったことは前記のとおりであるから、同被告らは、債務不履行により、または民法七一五条により使用者として、右医師らの行為により原告岡﨑ら、同渡邊ら、同梶原ら、同宮下ら、同紀子及び順子に生じた精神的損害を賠償すべき責任がある。

15  被告国の責任

(一) 被告国の法的義務の発生根拠

日本国憲法は、国は、国民の生命、自由及び幸福追及の権利を最大限に尊重し(一三条)、また、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めるべき義務を負うと定めているのであるから(二五条)、国民の生命及び健康に関する事項については、被告国が消極的、警察行政的活動に終始することは許されず、進んで積極的な行政を行う法的義務があると言うべきである。

母子保健法は、憲法一三条、二五条を受けて、国は母性並びに乳幼児及び幼児の健康の保持及び増進に努めるべき義務を負う旨定めている(母子保健法五条)。右の義務の具体化として、養育医療(同法二〇条)があり、養育医療の給付を適切に行うために指定養育医療機関制度を設け、厚生大臣は一定の基準に適合した医療機関を指定養育医療機関として指定している。

薬事法は、昭和五四年法律第五六号による改正前においても、国民の生命及び健康の維持増進を図るため、被告国(厚生大臣)に広範かつ強大な規制権限を与えており、厚生大臣はこれを国民の生命及び健康保護のために適切に行使する義務を負っていたと言うべきである。即ち、同法一四条は、厚生大臣に、医薬品、医療用具の製造承認の申請があったときはそれらの有効性と安全性を審査し、その結果有効性、安全性の認められる場合に限って製造を承認すべきことを義務づけている。しかし、科学の進歩や臨床使用実験の蓄積等により当初の判断の是正を迫られる場合も少なくないのであるから、製造承認の審査義務の中には当然に製造承認後の安全確保義務も包含されていると解すべきである。ところで、同条一項は日本薬局方(以下「局方」という。)に収められた医薬品については個別品目ごとの製造承認を要しないとしているが、厚生大臣は局方に収められていない医薬品についてさえ右の安全性確保義務を負っていたのであるから、局方に収められることによりその安全性に対する信頼が生じうる医薬品についても当然に右の義務を負っていたと解すべきである(同条の類推適用)。また、厚生大臣は、医療用具である保育器(同法二条四項、同法施行令一条)を製造または輸入しようとする者からその旨の申請があったときは、医療用具の名称・効能・効果等を審査してその製造または輸入についての承認を与える職務権限を有しており(同法一四条、二三条)、同法一四条一項、同法施行規則一八条、工業標準化法一七条一項は、日本工業規格(以下「JIS」という。)に適合する医療用具については、個別品目ごとの承認を要しないとしている。そして、保育器のJISを制定するのは厚生大臣であり(工業標準化法一一条、同法施行規則一条一号)、同法一五条は、厚生大臣に対し、三年ごとにJISに適合した保育器の安全性について検討、確認すべきことを義務づけている。したがって、厚生大臣は既に製造承認の与えられている医薬品・医療用具や局方に収められた医薬品、JISに適合した保育器についても副作用情報を収集し、疑問が生じたときには随時再審査を行って再評価し、当該医薬品・医療用具の全面禁止、適応の一部についての使用の禁止、副作用の発現が用法用量に関連する場合は用法用量の制限、あるいは副作用についての使用者に対する警告の措置をとる義務があったのである。現に厚生省は昭和三〇年代からそのような措置を各種の医薬品について講じていた。

医師法二四条の二は、厚生大臣は、公衆衛生上重大な危害を生ずるおそれがある場合において、その危害を防止するため特に必要があると認めるときは、医師に対して、医療または保健指導に関し必要な指示をすることができると定めている。右は覇束裁量行為を定めた規定であり、所定の要件が満たされた状況下では、厚生大臣はその権限を行使する義務があると解すべきである。

(二) 本症に関する被告国の知見

医薬品及び医療用具の本質的危険性及び右本質に由来する国民の生命及び健康に対する影響の直接性、重大性に鑑みると、薬事行政の分野における厚生大臣の安全確認義務は、世界最高の知識及び技術に基づくべきである。したがって、前記の外国での未熟児に対する酸素療法の変遷の状況及び各種の勧告等(前記5)に照らせば、厚生大臣は遅くとも昭和三〇年には保育器内の未熟児に酸素を投与することによって本症が発症しうることを知っていたか、知りうべきであったし、その後は本症の予防のための方法を知っていたか、知りうべきであった。

(三) 酸素についての安全性確保義務

酸素は薬事法上の医薬品である。前記のとおり、厚生大臣には承認後の医薬品あるいは局方に収められた医薬品についても安全性確保義務があるところ、厚生大臣は本症と酸素との間の前記関連について知っていたか、知りうべきであり、また、日本の医師の多くが素人なみの愚かさで酸素の安易な投与を行う傾向にあることをよく知っていたのであるから、米国小児科学会の勧告を参考にして酸素投与法等を医師に知らせるため、次のような施策を行うべき義務があった。

(1) 未熟児に対する酸素の用法、用量に制約を加え、この制約を局方中の「添付文書またはその容器もしくは被包に記載するよう定められた事項」として定める(薬事法四一条、五二条二号)。

(2) かりに右制約を局方に定める記載事項にはしないとしても、これを医薬品添付文書に「使用上の注意」として記載させる(同法五二条一号)。

(3) 同法四二条一項に基づき、保健衛生上特別の注意を要する医薬品である酸素につき、必要な基準を設ける。

(4) 医師法二四条の二に基づき、医師に酸素の副作用情報を流し、医師に対し、保育器内における酸素の使用法に関し適切な指示を行う。(未熟児に酸素を投与した結果本症に罹患する危険が生じているというような場合には、同条の「公衆衛生上重大な危害を生ずるおそれがある場合において、その危害を防止するため特に必要があると認めるとき」という要件を満たすことが明らかであるから、厚生大臣は医師に対して保育器内における酸素の使用法に関し適切な指示をすべき義務があったと言うべきである。)

(四) 保育器についての安全性確保義務

(1) 厚生大臣は、医療用具である保育器に関する前記職務権限に基づき、保育器の製造承認行為をなし、JISを制定したのであるが、右製造承認ないしJISの制定には次のような違法事由がある。即ち、保育器の用法・効能・効果等の審査に際し、またはJISの制定に際し、保育器の使用による副作用として未熟児の一部が本症に罹患することを十分知りながら、もしくは知るべきであるにもかかわらず、保育器に酸素分析器の設置を義務づける等右副作用を回避するための適切な措置をとらず、漫然と保育器製造を承認し、JISを制定し、また、三年ごとにJISに適合した保育器の安全性について検討、確認すべき義務を負っているのにもかかわらず、何らの調査・研究もせず、漫然と保育器の製造ないしは使用を放置し、医師らにこれを使用させ続けていた。

(2) また、前記のとおり、厚生大臣には、保育器の製造及び輸入を承認した後においても、自ら製造・輸入されている保育器の安全性について研究・調査し、または製造業者等に報告を求めるなどして監視に努めるなど、安全性確保義務があるところ、厚生大臣は本症と酸素との間の前記関連について知っていたか、知りうべきであったのであるから、次のような施策を行うべき義務があった。

① 保育器内の酸素投与についての「使用上の注意」を保育器に表示させる(薬事法六三条四号)。

② 保育器の使用方法等につき医師に対して適切な行政指導を行う。

③ 同法四二条二項に基づき、保健衛生上の危害を防止するため医療用具である保育器の性状、品質、性能等に関し、必要な基準を設ける。

(五) その他の被告国の作為義務

厚生大臣は指定養育医療機関の基準の中に酸素濃度分析器を備える必要性を明文で定め、また、酸素投与管理のため、未熟児一人に対し、医師、看護婦を何人必要とするかについても具体的に定めるべきであった。

(六) 厚生大臣が右(三)ないし(五)の各措置を適切に講じていさえすれば、本症の発症を完全に防止することが可能であり、原告児らが本症に罹患して失明することもなかったはずであるのに、これらを何ら実行しなかったことは違法であり、また、右(二)のとおり、本症と酸素との間の関連について知っていたか、知りうべきであったにもかかわらず右の各措置を講じなかったことには、過失があると言うべきである。右のように厚生大臣の過失によって違法に原告岡﨑ら、同渡邊ら、同梶原ら、同宮下ら、同紀子及び順子に損害を与えた被告国には、国家賠償法一条により右損害を賠償する責任がある。

16  損害

原告岡﨑らは同弘美の、同渡邊らは同征美の、同梶原らは同剛の、同宮下らは同マミの、同紀子及び順子は同紀子の本症罹患による失明の結果、いずれも財産上及び精神上著しい損害を被った。両眼失明は、自動車損害賠償保障法においても一級の後遺障害とされ、労働能力喪失率は一〇〇パーセントと評価されている。これら一切の損害を金銭に見積った場合、その額は別紙損害目録の当該損害額欄記載の金額を下らない。

原告岡﨑ら、同渡邊ら、同梶原ら、同宮下ら、同紀子及び順子は、弁護士葉山水樹ほかに本件訴訟提起を委任し、その報酬として右損害額の一五パーセントに相当する同目録の当該弁護士費用欄記載の金額を支払うことを約した。

17  まとめ

よって、原告らは、別紙請求の趣旨目録の当該被告欄記載の被告国以外の被告らに対し、債務不履行あるいは民法七一五条ないし同法七〇九条の不法行為による損害賠償請求権に基づき、被告国に対し、国家賠償法一条の損害賠償請求権に基づき、各自当該請求金額欄記載の各金員及びこれに対する当該被告に対する訴状送達の日の翌日である当該付帯請求起算日欄記載の日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告甲府市、同富士吉田市、同山梨県及び同加納岩病院)

1  請求原因4のうち、本症が未熟な網膜に起こる病変で、網膜血管の迂曲怒張に始まり、血管の新生と異常増殖をきたし、進行悪化すれば、重度の視力障害ないし失明に至る疾病であることは認めるが、本症の原因が過剰な酸素投与にあることは否認し、その余は争う。

2  同5について

(一)のうち、未熟児に酸素を投与するのは脳障害や死亡の危険を避けるためであること、当初米国では無制限に高濃度の酸素を投与していたこと、一九四〇年代後半には本症の多発が報告されたこと、(二)のうち、K・キャンベル、M・クロス、パッツ、ランマン、キンゼイ、アシュトンらの研究の存在、(三)及び(五)の事実、(六)のうち、ウォーリー・ガードナー法の提唱、(八)の事実はいずれも認めるが、その余は争う。

3  同6、7及び8は争う。

4  同9のうち、光凝固及び冷凍凝固の原理、天理よろづ相談所病院の永田誠らや東北大学の山下由紀子らが各雑誌に本症の光凝固ないし冷凍凝固による治療についての諸論文を掲載したこと並びに厚生省研究班が本症の診断及び治療基準に関する研究を行い、その成果の発表がなされたことは認めるが、その余は争う。

5  同14の(二)ないし(四)は争う。

6  同16は知らない。

(被告甲府市)

1  請求原因1の(一)、(六)及び同2の(一)の各事実は認める。

2  同3の(一)のうち、原告弘美が昭和四六年一一月一七日から同年一二月一一日までの間、市立甲府病院において、保育器内で酸素の投与を受けたこと及び原告弘美が失明したことは認めるが、原告弘美が本症に罹患したこと及び失明が本症によるものであることは知らない。酸素投与を受けたために本症に罹患したとの点は否認する。

3  同10の(一)の(1)のうち、同病院の瀧沢医師が原告弘美に対し昭和四六年一一月一七日から同年一二月一一日までの間酸素投与をした事実は認めるが、その余は争う。瀧沢医師は、酸素投与を原告弘美の呼吸状態、チアノーゼ等の全身状態に対応させながら行い、症状の軽減に応じて投与量を漸減させていったのであって、当時の医療水準に照らして不当な点はない。

4  同10の(一)の(2)は争う。原告弘美に対しては、同年一一月二二日からカテーテルによる鼻腔栄養を開始し、翌二三日直接哺乳を試みたが、哺乳力不足のためなしえず、同月二九日直接哺乳を試みたが呼吸促迫、腹満となったので鼻腔栄養に戻り、全部直接哺乳となったのは昭和四七年一月七日であり、その間の栄養管理につき、当時の医療水準に照らして不当な点はない。

5  同10の(二)は争う。

(被告富士吉田市)

1  請求原因1の(二)、(四)、(七)及び同2の(二)、(四)の各事実は認める。

2  同3の(二)、(四)の各事実のうち、原告征美が昭和四六年五月二一日から同月二四日までの間、原告マミが昭和四八年三月二六日から同年四月一八日までの間、富士吉田市立病院において、それぞれ保育器内で酸素の投与を受けたことは認めるが、原告征美が昭和四六年五月三〇日から同年六月一六日までの間酸素投与を受けたとの点は否認する。同原告らが本症に罹患し、失明したことは知らない。酸素投与を受けたために本症に罹患したとの点は否認する。

3  同11の(一)の(1)の①のうち、同病院の加賀谷医師が原告征美に対し昭和四六年五月二一日から同月二四日までの間酸素投与をした事実は認めるが、その余は否認ないし争う。同月二一日には呼吸不整と高度のチアノーゼがあったので毎分五リットルの流量の酸素を投与し、翌二二日にはチアノーゼが漸次消失し四肢末端に中等度認められるのみになったので流量を毎分三リットルに減量し、同月二四日にはチアノーゼ状態からほぼ回復し、呼吸も整調となったので酸素投与を中止したのであって、当時の医療水準に照らして不当な点はない。

同②のうち、同病院の渡辺医師が原告マミに対し昭和四八年三月二六日から同年四月一八日までの間酸素投与をした事実は認めるが、その余は争う。原告マミには同年三月三〇日まで四肢浮腫、チアノーゼが認められ、同年四月三日まで間歇的にチアノーゼ、呼吸困難が認められ、同月一二日まで四肢冷感、運動不活発等の全身状態の悪い状態が続いたのであり、同医師は右症状に応じて酸素を投与したものであって、当時の医療水準に照らして不当な点はない。

4  同11の(一)の(2)及び同(二)の(1)、(2)はいずれも争う。

(被告山梨県)

1  請求原因1の(三)、(八)及び同2の(三)の各事実は認める。

2  同3の(三)のうち、原告剛が昭和四七年一月二四日から同年三月二日までの間、山梨県立中央病院において、保育器内で酸素の投与を受けたこと及び原告剛が失明したことは認めるが、原告剛が本症に罹患したこと及び失明が本症によるものであることは知らない。酸素投与を受けたために本症に罹患したとの点は否認する。

3  同12の(一)の(1)のうち、同病院の小松医師の原告剛に対する酸素投与の期間及び酸素投与の量は認めるが、その余は争う。小松医師は、酸素投与を原告剛の呼吸状態、チアノーゼ、浮腫、腹部膨満、哺乳力、啼泣力等の全身状態に応じて調整したのである。即ち、同年一月二四日は、顔面、手足、足底、左下腿部にチアノーゼが認められたので毎分三リットルの酸素投与を開始し、翌二五日には、チアノーゼのほか浮腫が四肢に現れ、呼吸停止も頻繁に見られるようになり、これが翌二六日になっても改善されなかったので、同日酸素を毎分四リットルに増量し、同日及び翌二七日は一日中無呼吸状態、チアノーゼ、浮腫が見られ、翌二八日以降も無呼吸と呼吸不整状態が続いたので毎分四リットルの酸素投与を続け、その後症状の軽減と共に投与量を漸減したのである。なお、同月二六日にPaO2を測定したところ、99.6mmHgであった。右の酸素投与法は、当時の医療水準に照らして不当な点はない。

4  同12の(一)の(2)は争う。小松医師は、原告剛に対し同月二八日午後四時に五パーセントのブドウ糖液三立方センチメートルをカテーテルで注入し強制栄養を開始した。同日午後七時からは一五パーセントのミルクを当初は五立方センチメートル、その後は増量しながら定期的にカテーテルで注入した。同年二月一八日からは強制栄養と並行して経口哺乳を試み、同年三月一二日には自力哺乳に変更したのであり、その間の栄養管理につき、当時の医療水準に照らして不当な点はない。

5  同12の(二)は争う。

(被告加納岩病院)

1  請求原因1の(五)、(九)及び同2の(五)の各事実は認める。

2  同3の(五)の事実のうち、原告紀子が昭和四八年四月五日から同年五月一五日までの間、加納岩病院において、保育器内で酸素の投与を受けたこと及び原告紀子が失明したことは認めるが、原告紀子が本症に罹患したこと及び失明が本症によるものであることは知らない。酸素投与を受けたために本症に罹患したとの点は否認する。

3  同13の(一)の(1)のうち、同病院の中沢及び日野原両医師が原告紀子に対し昭和四八年四月五日から同年五月一五日までの間酸素投与をした事実は認めるが、その余は争う。原告紀子は同年四月五日の同病院転院時に呼吸数が非常に不安定であったので毎分三リットルの酸素を投与したが、その後黄疸が続いた。同年五月三日に体重が一六六〇グラムになり呼吸が安定したので酸素を毎分二リットルに減じ、同月一〇日に毎分一リットルに減じ、同月一五日に中止したのであり、右の酸素投与法は、当時の医療水準に照らして不当な点はない。

4  同13の(一)の(2)及び同(二)はいずれも争う。

(被告国)

1  請求原因1ないし3のうち、同1の(五)の事実は認めるが、その余の事実は知らない。

2  同4ないし7に対する認否は被告甲府市、同富士吉田市、同山梨県及び同加納岩病院の認否と同旨。

3  同10ないし13の各(一)の(1)はいずれも知らない。

4  同15は争う。

5  同16は知らない。

三  被告甲府市、同富士吉田市、同山梨県及び同加納岩病院の主張

1  本症の原因

(一) 本症の発生機序についてはいまだ十分に解明されておらず、現在のところ、本症の考えられる原因として次のような因子が指摘され論じられてはいるが、これらはいずれもいまだ研究途上の段階にあると言うべきである。

(1) 網膜の未熟性

人の網膜は胎生四か月までは無血管であり、それ以降、乳頭上より網膜内に血管が出現し、規則性を持って鋸歯状縁に向かって血管が発達して行き、例外的なものを除いては一〇か月までに完成する。少ない在胎週数で未熟な網膜のまま出生した場合、母体内であれば網膜血管の正常な発達を促すはずであった因子が、出生による突然の環境の変化で異常な発達へ導かれて引き起こされるのが本症であると考えられている。したがって、網膜が未熟であることが本症の絶対的な要因である。

(2) 酸素

動物実験の結果、未熟な血管を高酸素濃度下に置くと血管の収縮閉塞が起こり、これを空気中に戻すと相対的な低酸素症に陥るために血管増殖を起こすことが判明したが、動物の場合には人と異なり網膜剥離にまで進展することはない。人の未熟児の場合も同じように血管の収縮閉塞とそれに続く血管増殖が起きると考えられ、その意味で酸素は本症の誘因の一つであるとは言えるが、その後に別の因子が作用することによって病変が進行し、網膜剥離にまで至るものと考えられている。網膜血管は環境酸素濃度にではなく、網膜における酸素濃度に反応するのであるから、近時PaO2の測定が論議されるようになったが、未熟児の肺の換気機能は不完全であるからPaO2が環境酸素濃度に比例して上昇することはない。

(3) 急激なPaO2の変化

PaO2の動揺が激しい場合には比較的低いPaO2でも相対的な酸素過剰の状態になるので、仮に酸素投与がなくても本症の発生が促される。

(4) 先行する低酸素症

母体の強い貧血、未熟児の呼吸窮迫症候群、新生児仮死などの低酸素症は本症の発生を促す。

(5) 出生前の要因

生後間もない未熟児に本症が発症することもあり、何らかの出生前の要因があると考えられている。また、先天的な要因もありうると言われている。

(6) 未熟児貧血

貧血が本症となんらかの関係を有していることは統計的に明らかである。

(7) ステロイドホルモン

ステロイドホルモンの大量投与によって本症を作ることに成功したとの動物実験があり、これによって酸素以外の要因によっても本症が発症しうることが明らかになった。

(8) その他

その他にも、母体の妊娠中毒症・肝障害・糖尿病、切迫流産、分娩時微弱陣痛、出生に伴う胎児ヘモグロビンの酸素飽和度の急激な上昇、眼底検査時における光刺激など多数の要因が本症の原因として上げられている。

(二) なお、原告らは、パッツ、ランマン及びキンゼイらの比較対照実験により本症の原因が酸素の過剰投与にあることは明らかであると主張するが、一九六〇年(昭和三五年)のアベリーとオッペンハイマーの報告によると、生下時体重が一〇〇〇ないし一四九九グラムの未熟児の死亡率の変遷を調べてみると、六〇ないし八〇パーセントの酸素を投与していた一九四四年(昭和一九年)から一九四八年(昭和二三年)の間は四二パーセント、酸素濃度を四〇パーセント以下に制限した一九五四年(昭和二九年)から一九五八年(昭和三三年)の間は五八パーセントとなっており、K・クロスは一九七三年(昭和四八年)の論文の中で、厳しい酸素制限によって一人の失明を救うために約一六名の死亡例が発生する可能性がある旨述べている。したがって、酸素投与の制限によって本症の発生数が減少したといっても、同時に従来であれば本症に罹患していたはずの多くの未熟児が死亡してしまっていたのではないかとも考えられ、発症率の減少が酸素投与と本症との間の因果関係を証明することにはならない。

2  本症の予防法

(一) 未熟児に酸素を投与する場合、どの程度の酸素を投与すれば生命及び脳を救うことができ、また、本症の発症を防止できるのかについては、その具体的な基準は現在に至るも存在しない。

昭和四六年から四八年当時、一般の未熟児担当医師がとるべきとされていた酸素投与の基準は次のようなものであり、それに従っていれば本症は発生しないと考えられていた。

(1) 呼吸困難やチアノーゼのない場合にも医師の指示によりルーティンに酸素を供給することもある。特に、姿勢や運動の異常、呼吸異常、チアノーゼ、低体温、黄疸、浮腫、腹部膨満、反射運動の消失・減弱のような低酸素症あるいはその危険性が著しく高いことを示す症状のあるときには当該症状が再発する可能性がなくなるまでの期間、高濃度酸素を供給する。

(2) 酸素濃度は通常四〇パーセント以下。症状によりさらに高濃度にする。

(3) 酸素投与の期間は医師の裁量的判断による。

(4) 症状が好転したら徐々に濃度を減じながら酸素投与を中止する。

(5) 定期的に酸素濃度を測定する。

(二) 原告らは全身性チアノーゼ等の適応のある場合に限って酸素を投与すべきであると主張しているが、未熟児のチアノーゼの有無の判断は臨床的には非常に困難であり、また、チアノーゼの発生や程度とPaO2も一定の相関関係にあるわけではなく、PaO2が相当低くなってもチアノーゼが出ない場合もあるなど、チアノーゼの有無を酸素投与の指標にすることが必ずしも合理的であるとは言えない。

PaO2を一定の範囲内に保てば本症の発生がないとする原告らの主張もまた失当である。そもそも昭和四六年から昭和四八年当時においてはPaO2を測定して酸素濃度を調節する方法は一部の先進的医療機関においてしか実施されておらず、臨床医学の実践における医療水準とはなっていなかったと言うべきである。また、昭和五〇年代になって血液酸素分圧を経皮的に連続測定することができるようになってから、PaO2の変動幅は著しいことが判明し、これを一定に保つのは非常に困難であること、一日数回の間歇的な測定では実態を把握したことにはならないことなども分かってきた。しかも、どの程度のPaO2がどれだけの期間持続すれば本症が発生するのかについてはいまだに解明されていないのである。

3  本症の治療法としての光凝固・冷凍凝固

(一) 本症のうち、厚生省研究班分類によるⅠ型のものはその約八〇パーセントが自然治癒することが知られている。右のような高い自然治癒率に鑑みると、いまだ比較対照実験(コントロール・スタディ)によってその有効性が客観的に確認されていない光凝固・冷凍凝固を有効な治療法とすることはできない。

(二) 光凝固・冷凍凝固の問題点

仮に光凝固・冷凍凝固が有効な治療法であるとしても、昭和四八年の時点で、本症の治療として光凝固・冷凍凝固を行うには、次のような問題点があり、当時でもいまだ一部の専門的研究者による追試実験の段階にあったことは明らかであるから、原告児らの診療を担当した医師らには光凝固・冷凍凝固を実施すべき義務もそれを実施しうる他の医療機関へ転院させる義務もなかったと言うべきである。

(1) 成人の糖尿病性網膜症等に対して光凝固・冷凍凝固を行うのとは異なり、発育途上の眼にこれを実施するのは、侵襲の度合が大きすぎ、将来に悪影響を及ぼすのではないかと現在でも危惧されている。

(2) 未熟児の眼底を検査した上、これに光凝固・冷凍凝固を行うのは手技的に極めて困難であり、その危険性も高く、これを実施できるようになるには特定の医療施設での一定の年限の教育訓練を必要とする上、その実施には眼科医と小児科医・産科医との連携体制が不可欠であるが、それらの体制の整備は不十分であった。

(3) 光凝固・冷凍凝固を行うには、適応症例の選定と適切な実施時期の判断が重要であり、これを誤ると過剰侵襲となったり、時期を失して無効に終わったりしてしまう。そして、右の判断は本症の診断基準と密接に関係しているにもかかわらず、統一的な診断基準の確立はⅠ型については昭和五〇年八月の厚生省研究班報告の発表を、Ⅱ型については昭和五一年一月の森実秀子の研究結果の発表を待たなければならなかった。

四  被告国の主張

1  母子保健法について

同法三条の規定は「乳幼児の健康が保持増進されなければならない」という母子保健に関する基本理念を宣言したものであって、乳幼児が被告国に対して何らかの具体的な権利を有することを定めたものではない。

同法五条一項は、被告国及び地方公共団体に母性及び乳幼児の健康の保持増進に努力すべき責務があることを明らかにし、被告国及び地方公共団体の努力目標を掲げたに過ぎず、被告国が同項の規定により個々の乳幼児に対してその健康の保持増進に関して何らかの具体的義務を負うものではない。

同法五条二項は、被告国及び地方公共団体の施策の基本方針を明らかにしたに過ぎず、被告国に法的義務を課したものではない。

2  医師法二四条の二について

(一) 厚生大臣が同条の指示を発するかどうかは、広範な裁量に委ねられており、当不当の問題が生ずるにとどまり、違法性の問題は生じる余地がない。

(二) また、同条の指示は、医師の行為のうち、専門的判断、専門的技量にかかわる事項については発しえないと解すべきである。

患者に対する医学的処置の方法、手技、時期等の決定は、医師の専門的裁量に委ねられている。特に未熟児保育の際の酸素投与の要否、投与量、投与中止時期、再投与の必要性などの判断は、未熟児の素因や絶えず変動する児の状態によって左右されるため、すべて医師の専門的合理的な裁量に委ねられていると言わなければならない。

本症の発生原因、発生機序に未解明の部分が多いことは前記被告甲府市、同富士吉田市、同山梨県及び同加納岩病院の主張1(本症の原因)、2(本症の予防法)のとおりであり、酸素療法の具体的実施においても、死亡、脳性麻痺、本症による失明の三律背反の結果回避に対する根本的な解決方法は、現在でも確立されていない。保育器内の環境酸素濃度を一定レベルに保っても、PaO2は未熟児の状態によって絶えず変動するのであって、一律の濃度、投与期間の指示ということは考えられない。仮に指示を発するとすれば、「不必要な酸素を供給してはならない。」といった程度にとどまらざるをえないが、その程度であれば、酸素投与を行う医師にとっては常識であり、同条の「特に必要があると認められるとき」に該当しないことは明らかである。

3  薬事法による製造承認後の安全確保義務について

昭和五四年改正前の薬事法上、医薬品及び医療用具の製造承認後において、安全確保の見地から、厚生大臣が当該医薬品及び医療用具の副作用に関し、情報収集や調査をして監視・追跡を行う権限を根拠づけたり、ましてやこれを義務づけたりする明文の規定は存在しない。右薬事法は、その沿革からして、不良医薬品、不良医療用具の取締りを主な目的とする警察的取締法規であり、「法律による行政」の基本原理がある以上、たとえ安全性確保の見地からとはいえ、医薬品、医療用具を薬事法上適法に製造、販売する者に対して法律の根拠がないのに規制、強制にわたる措置をとることができないことは言うまでもない。

4  保育器について

保育器の本質的機能は、適当な温度と湿度を維持すること及び外部からの細菌感染を防止することにあり、薬事法上の製造承認もJISの制定も右の本質的機能を損なうことがないかどうかという基準のもとに審査されるのである。未熟児に対する酸素投与の要否の判断及び酸素濃度の設定は医師の医療行為の範疇に属する事項であって、保育器の本質とはなんら関係のないものであるから、厚生大臣が薬事法による製造承認あるいはJISの制定の際、保育器内の未熟児に対する酸素投与と本症の発生について考慮しなかったとしても何ら違法ではない。

工業標準化法一五条に基づく三年ごとのJIS見直しの制度は、JIS制定後三年を経過してもなお、鉱工業品の品質改善、生産能率の推進その他生産の合理化、取引の単純公正化及び使用または消費の合理化を図るという目的を達するため適正であるかどうかを見直すためのものであって、このような通商産業的な目的の制度に関する規定が厚生大臣に対する保育器の安全性確保義務の根拠規定になりようがないことも当然である。

5  酸素療法と本症について

(一) 未熟児に対する酸素療法は、次のような三つの大きな段階を経て今日に至っている。

(1) 無制限酸素投与時代(チェックなしに高濃度の酸素を長期間投与した時代)

(2) 制限酸素時代(無制限酸素投与時代における本症の爆発的発生の反省の上に立って、酸素濃度四〇パーセントの厳しい制限をしていた時代)

(3) 自由裁量時代(制限酸素時代における未熟児死亡率の上昇及び脳性麻痺発症率の上昇に伴い、その反省の上に立って、必要にして十分の酸素を投与するか、制限すべきかの判断に医療行為の自由裁量性が強く働くようになった時代)

(二) 右のように、現在において、酸素投与を四〇パーセント以下に厳しく制限する方法がとられなくなったのは、そのような制限の結果本症の発生は減少したが、逆に死亡率や脳性麻痺の比率が上昇したこと、呼吸窮迫症候群などの疾患がある場合には四〇パーセント以下の濃度の酸素では救命できないことが分かったことなどによるものである。また、多因子性疾患と言われる本症の発生の機序、本症の根本的な原因は前記のようにいまだ解明されておらず、高度な設備を備えた先進的医療機関において、PaO2を連続的に注意深く調べ、その値を六〇ないし一〇〇mmHgに保持しても、本症を完全に防止することができないのが現状である。

環境酸素濃度のPaO2への影響は個々の未熟児の状態によって全く異なるし、また未熟児の症状によっては四〇パーセントを超える酸素を医師の裁量で投与する必要がある場合もあることに鑑みると、環境酸素濃度を定期的に濃度分析器により測定しても、本症の防止にはさほど意味のあることではない。また、チアノーゼやPaO2を指標として酸素を投与する方法にも問題があるのは、被告甲府市、同富士吉田市、同山梨県及び同加納岩病院の主張2(本症の予防法)のとおりである。

(三) 原告らの被告国に対する主張は、いずれも未熟児に対する酸素投与に関する基準が存在し、それを厚生大臣が医師に周知させ、遵守させていさえすれば本症の発生が防止できたはずであるということを前提にするものである。しかしながら、本症に対する医療の現状は、前記のような状況であり、本症を防止するための未熟児に対する酸素投与に関する基準は、昭和四〇年代はもちろん、現在の最先端の知識をもってしても設定することができないのである。したがって、原告らの被告国に対する請求に理由がないことは明らかである。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一書証の成立〈省略〉

第二当事者及び原告児らの診療経過

一当事者及び診療契約の締結

請求原因1の(一)、(六)及び同2の(一)の各事実は原告岡﨑らと被告甲府市間に、同1の(二)、(七)及び同2の(二)の各事実は原告渡邊らと被告富士吉田市間に、同1の(三)、(八)及び同2の(三)の各事実は原告梶原らと被告山梨県間に、同1の(四)、(七)及び同2の(四)の各事実は原告宮下らと被告富士吉田市間に、同1の(五)、(九)及び同2の(五)の各事実は原告徐らと被告加納岩病院間に争いがない。

二原告弘美の被害と診療経過

1  原告弘美の本症による失明

原告弘美が両眼を失明していることは原告岡﨑らと被告甲府市間に争いがない。また、原告岡﨑ちえ本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、右失明は本症に罹患した結果であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  原告弘美の臨床経過

原告弘美が昭和四六年一一月一七日、在胎二八週四日、生下時体重一四〇〇グラムの未熟児として市立甲府病院で出生したこと及び同病院の瀧沢保之医師が同原告を保育器に収容し、同日から同年一二月一一日までの間酸素を投与したことは原告岡﨑らと被告甲府市間に争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告弘美は、昭和四六年一一月一七日午後一一時四五分に在胎二八週四日、生下時体重一四〇〇グラムの極小未熟児として出生したが、新生児仮死Ⅰ度でアプガー指数六点、蘇生器を使用して啼泣まで三分かかった。全身にチアノーゼがあり、呻吟し、呼吸は不規則で陥没呼吸が見られ、呼吸数は一分間に五二回であった。また、種々の反射も見られず、聴診すると肺は呼吸音が弱く湿性ラ音が聞かれ、心音には収縮期雑音があった。そして、直ちに保育器に収容され、毎分四リットルの酸素が投与された。原告弘美の治療は瀧沢保之医師ほか市立甲府病院の小児科の医師らが担当した。

(二) 出生の日の翌日以降の臨床経過は以下のとおりである。

翌一八日。午前八時に酸素を毎分三リットルに減量。酸素濃度は三四ないし四三パーセント。全身チアノーゼ、不規則呼吸、陥没呼吸の増強、呻吟、肺の湿性ラ音、低体温(三四度)があった。

翌一九日。午後二時に酸素を毎分2.5リットルに減量。酸素濃度は三六ないし四三パーセント。全身チアノーゼ、不規則呼吸、陥没呼吸、呻吟、黄疸、低体温(三四度)があった。点滴静脈注射、アルカリ療法を行った。

翌二〇日。酸素は毎分2.5リットルを継続。酸素濃度は三〇ないし三九パーセント。全身チアノーゼ、不規則呼吸、陥没呼吸、肺の湿性ラ音、黄疸、低体温(34.2度)があった。

翌二一日。午後五時に酸素を毎分2.8リットルに増量。酸素濃度は三一ないし四〇パーセント。全身チアノーゼ、不規則呼吸、呻吟、黄疸、低体温(34.6度)があった。

翌二二日。酸素は毎分2.8リットルを継続。酸素濃度は三四ないし三八パーセント。顔面のチアノーゼ、不規則呼吸、中等度黄疸、湿性ラ音、黄疸、低体温(34.5度)があった。カテーテルによる栄養補給開始。ブドウ糖液注入量六立方センチメートル。哺乳量一二立方センチメートル。

翌二三日。酸素は毎分2.8リットルを継続。酸素濃度は二九ないし三八パーセント。口囲と四肢末端のチアノーゼ、無呼吸、不規則呼吸、黄疸、低体温(33.8度)があった。哺乳量四〇立方センチメートル。

翌二四日。午前一一時に酸素を毎分二リットルに減量。酸素濃度は三二ないし四〇パーセント。口囲のチアノーゼ、不規則呼吸、陥没呼吸、黄疸、低体温(35.2度)があった。哺乳量六四立方センチメートル。

翌二五日。午前一一時に酸素を毎分三リットルに増量。酸素濃度は二七ないし三五パーセント。四肢末端のチアノーゼ、不規則呼吸、黄疸、低体温(33.8度)があった。哺乳量八八立方センチメートル。

翌二六日。酸素を1.5リットルに減量。酸素濃度は二九ないし四四パーセント。四肢末端のチアノーゼ、不規則呼吸、黄疸、低体温(33.4度)があった。哺乳量一一二立方センチメートル。

翌二七日。酸素は毎分1.5リットルを継続。酸素濃度は二八ないし四二パーセント。四肢末端のチアノーゼ、不規則呼吸、黄疸、低体温(33.6度)があった。哺乳量一三六立方センチメートル。

翌二八日。午前八時に酸素を毎分一リットルに減量。酸素濃度は二八ないし三四パーセント。四肢末端のチアノーゼ、無呼吸、黄疸、低体温(34.5度)があった。哺乳量一六〇立方センチメートル。

翌二九日。酸素は毎分一リットルを継続。酸素濃度は二三ないし三五パーセント。四肢末端のチアノーゼ、黄疸、低体温(三四度)があった。哺乳量一五八立方センチメートル。

翌三〇日。酸素は毎分一リットルを継続。酸素濃度は二五ないし三二パーセント。不規則呼吸、低体温(三四度)があった。哺乳量一六〇立方センチメートル。

翌一二月一日。酸素は毎分一リットルを継続。酸素濃度は二七ないし三〇パーセント。黄疸、低体温(三五度)があった。哺乳量一六〇立方センチメートル。

翌二日。酸素は毎分一リットルを継続。酸素濃度は二六ないし三〇パーセント。黄疸、低体温(35.4度)があった。哺乳量一六〇立方センチメートル。

翌三日。酸素は毎分一リットルを継続。酸素濃度は二八ないし三四パーセント。不規則呼吸、黄疸、低体温(35.3度)があった。哺乳量一七四立方センチメートル。

翌四日。酸素は毎分一リットルを継続。酸素濃度は二五ないし三〇パーセント。黄疸、低体温(35.4度)があった。哺乳量一七二立方センチメートル。

翌五日。午前一一時に酸素を毎分0.5リットルに減量。酸素濃度は二四ないし二八パーセント。低体温(35.6度)があった。哺乳量一七六立方センチメートル。

翌六日から七日。酸素は毎分0.5リットルを継続。酸素濃度は二二ないし二七パーセント。哺乳量各一七六立方センチメートル。

翌八日。酸素は毎分0.5リットルを継続。酸素濃度は二二ないし二六パーセント。不規則呼吸、低体温(35.2度)があった。哺乳量一七六立方センチメートル。

翌九日。酸素は毎分0.5リットルを継続。酸素濃度は二五ないし三五パーセント。低体温(35.6度)があった。哺乳量一七六立方センチメートル。

翌一〇日。酸素は毎分0.5リットルを継続。酸素濃度は二三ないし三二パーセント。不規則呼吸があった。哺乳量一七六立方センチメートル。

翌一一日。午前一一時に酸素投与を中止した。酸素濃度は三〇パーセント。哺乳量二〇〇立方センチメートル。

同月一三日。チアノーゼがあった。哺乳量二一六立方センチメートル。

同月二〇日。手足にチアノーゼがあった。哺乳量二七三立方センチメートル。

同月二二日。チアノーゼがあった。哺乳量二七六立方センチメートル。

翌二三日。直接哺乳を試みたところ、呼吸促迫が起こったので再びカテーテルによる哺乳へ移行。哺乳量二八八立方センチメートル。

昭和四七年二月一日。保育器を開放し、コットへ。哺乳量五六〇立方センチメートル。

同月八日。軽度のチアノーゼがあった。哺乳量五六〇立方センチメートル。

同月一〇日。輸血三〇立方センチメートル。

同年三月一四日。眼科検診を受けたところ、RLFの疑いが濃厚であった。退院。

(三) なお、保育器内の設定温度は、昭和四六年一一月一七日が三二度、翌一八日から同年一二月一六日までが三三度、翌一七日から同月二三日までが三二度、翌二四日から昭和四七年一月一三日までが三〇度、翌一四日及び翌一五日が二九度、翌一六日から開放までが二八度、設定湿度は、昭和四六年一一月一七日から同年一二月四日までが一〇〇パーセント、翌五日から同月一〇日までが九〇パーセント、翌一一日から昭和四七年一月一五日までが八〇パーセント、翌一六日から開放までが七〇パーセントであった。

三原告征美の被害と診療経過

1  原告征美の本症による失明

〈証拠〉によれば、原告征美は本症に罹患した結果両眼を失明したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  原告征美の臨床経過

原告征美が昭和四六年五月二一日、在胎三一週、生下時体重一四七〇グラムの未熟児として富士吉田市立病院で出生したこと及び同病院の加賀谷武医師が同原告を保育器に収容し、同日から同月二四日までの間酸素を投与したことは原告渡邊らと被告富士吉田市間に争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 原告征美は昭和四六年五月二一日午前七時五八分に双胎児の第一子として在胎三一週、生下時体重一四七〇グラムの極小未熟児として出生した。全身チアノーゼ、多呼吸、陥没呼吸、呻吟があったので直ちに保育器に収容され、毎分五リットルの酸素を投与された。保育器内の温度は三〇度、湿度は九〇パーセントに設定した。その際、病院側では双胎児を予想していなかったために、加温・加湿済みの保育器の用意が一台しかなく、二台目の保育器の準備ができるまでの約一時間、やむをえず原告征美と第二子を同一の保育器に収容した。原告征美の治療は産婦人科の加賀谷武医師が担当した。

(二) 出生の日の翌日以降の臨床経過は以下のとおりである。

翌二二日。酸素を毎分三リットルに減量。四肢末端チアノーゼ、多呼吸、陥没呼吸があった。なお、加賀谷医師は酸素投与についてウォーリー・ガードナー法を採用していたので、酸素投与量を五リットルから三リットルに減量する際、チアノーゼの有無を確認した。

翌二三日。酸素は毎分三リットルを継続。四肢末端チアノーゼがあった。

翌二四日。酸素は毎分三リットルを継続したが、午後五時に酸素投与を中止した。四肢末端チアノーゼがわずかにあった。五パーセントブドウ糖液六立方センチメートルをカテーテルで注入。

翌二五日。同ブドウ糖液一六立方センチメートル注入。

翌二六日。同ブドウ糖液三一立方センチメートル注入。

翌二七日。同ブドウ糖液四五立方センチメートル注入。

翌二八日。同ブドウ糖液五二立方センチメートル注入。

翌二九日から同月三一日。同ブドウ糖液各六四立方センチメートル注入。

翌六月一日。同ブドウ糖液六八立方センチメートル注入。

翌二日。哺乳開始。同ブドウ糖液、哺乳量合計八〇立方センチメートル。

翌三日。哺乳量八〇立方センチメートル。その後翌四日に嘔吐して哺乳量を一時減らしたことがあったが、以後再び次第に増量していった。

同月一四日。特別回診した虎ノ門病院の福島修医師の指示で発育を促進させるため蛋白同化ステロイド剤(デメロン)を投与。

同月二三日。幾分チアノーゼがあった。

同年七月一七日。保育器開放。

翌一八日。コットへ。

同月二三日。退院。

3  なお、原告渡邊らは、加賀谷医師は原告征美に対し、同年五月三〇日から同年六月一六日までの間にも酸素を投与したと主張するので、この点について判断する。原告征美の看護記録(乙D第二号証の二)の五月三〇日の処置欄には「O2吸入5l」の記載があり、以後六月一六日まで同欄に「〃」が(ページの変わった冒頭の六月八日にはさらに「O2吸入」の記載もある。)記載され、それらが横一本線で抹消されていることが認められる。しかしながら、証人加賀谷武は、原告征美に酸素を投与したのは同年五月二一日から同月二四日までであると明確に証言しているところ、右証言にはことさら不自然なところがない。そして、原告征美の昭和四六年五、六、七月分の国民健康保健診療報酬請求明細書(乙D第五号証の一ないし三)によれば、酸素吸入について請求がなされているのは五月分の一九四九〇リットルだけであること、また、原告征美の同年五、六、七月分の入院診療会計カード(乙D第四号証の一ないし三)にも右に符合する記載があること、右の一九四九〇リットルという量は、五月二一日午前七時五八分の原告征美出生のころから翌二二日午前一二時ころまで毎分五リットル、その後同月二四日まで毎分三リットル投与した時の量にほぼ見合う量になっていることが認められ、これらの事実は、酸素投与がなされたのは同月二一日から二四日までであることを裏付けるものであり、他方、前記看護記録の記載は、原告征美と同時に出生した双胎児の第二子の記載と混乱して記入されたため、抹消されたのではないかとも推測することができる。そうすると、前記証人加賀谷武の証言は否定することができないのであって、右看護記録の記載によっては原告渡邊ら主張の期間に原告征美に対し酸素投与が行われた事実を認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

四原告剛の被害と診療経過

1  原告剛の本症による失明

原告剛が両眼を失明していることは原告梶原らと被告山梨県に争いがない。また、原告梶原静枝本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、右失明は本症に罹患した結果であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  原告剛の臨床経過

原告剛が昭和四七年一月二四日、在胎二八ないし二九週、生下時体重一三〇〇グラムの未熟児として中島医院で出生し、直ちに山梨県立中央病院に転院したこと及び同病院の小松幹司医師が同原告を保育器に収容し、同日から同年三月二日までの間酸素を投与したことは原告梶原らと被告山梨県間に争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告剛は、昭和四七年一月二四日午後四時三六分、中島医院で在胎二八週ないし二九週、生下時体重一三〇〇グラムの極小未熟児として出生したが(アプガー指数九点)、同医院には未熟児保育の設備がなかったので、同日午後五時三〇分、直ちに山梨県立中央病院に転院した。転院時、顔面、手掌、足底及び左下腿部にチアノーゼがあり、不規則呼吸、低体温(34.1度)もあったので、保育器に収容し、毎分三リットルの酸素投与を開始した。原告剛の治療は小松幹司医師ほか同病院の小児科の医師らが担当した。

(二) 出生の日の翌日以降の臨床経過は以下のとおりである。

翌二五日。酸素は毎分三リットルを継続。足底の軽度のチアノーゼ、不規則呼吸、無呼吸、四肢の浮腫、低体温(35.3度)があった。

翌二六日。午前四時に酸素を毎分四リットルに増量。全身色蒼白、不規則呼吸、陥没呼吸、たびたびの無呼吸、呻吟、全身の著明な浮腫、四肢の筋強剛、低体温(35.3度)があった。PaO2を検査したところ、99.6mmHgであった。

翌二七日。酸素は毎分四リットルを継続。四肢末端の著明なチアノーゼ、顔面のチアノーゼ、不規則呼吸、陥没呼吸、たびたびの無呼吸、呻吟、四肢の強度の浮腫、黄疸、低体温(三五度)があった。心マッサージ三回。

翌二八日。酸素は毎分四リットルを継続。不規則呼吸、たびたびの無呼吸、顔面、上肢、腹部の軽度の浮腫、下肢の強度の浮腫、黄疸があった。カテーテルにより哺乳を開始。哺乳量六立方センチメートル。

翌二九日。酸素は毎分四リットルを継続。不規則呼吸、時々の無呼吸、軽度の浮腫、黄疸があった。哺乳量四〇立方センチメートル。

翌三〇日。酸素は毎分四リットルを継続。不規則呼吸、陥没呼吸、無呼吸、黄疸、低体温(35.3度)があった。哺乳量六四立方センチメートル。

翌三一日。酸素は毎分四リットルを継続。顔面のチアノーゼ、不規則呼吸、陥没呼吸、無呼吸、黄疸、低体温(35.3度)があった。哺乳量八〇立方センチメートル(嘔吐した分もある。)。

翌二月一日。酸素は毎分四リットルを継続。不規則呼吸、無呼吸、黄疸、低体温(三五度)があった。哺乳量九八立方センチメートル。

翌二日。酸素を毎分三リットルに減量。不規則呼吸、無呼吸、低体温(34.9度)があった。哺乳量一三九立方センチメートル。

翌三日。酸素は毎分三リットルを継続。不規則呼吸、無呼吸、低体温(34.4度)があった。哺乳量一四六立方センチメートル(嘔吐した分もある。)。

翌四日。酸素は毎分三リットルを継続。不規則呼吸、無呼吸、低体温(34.1度)があった。哺乳量一五五立方センチメートル(流出した分もある。)。

翌五日。酸素は毎分三リットルを継続。不規則呼吸、無呼吸、低体温(34.7度)があった。哺乳量一五八立方センチメートル(嘔吐した分もある。)。

翌六日。酸素は毎分三リットルを継続。低体温(35.2度)があった。哺乳時にたびたび溢乳した。哺乳量一四五立方センチメートル。

翌七日。酸素は毎分三リットルを継続。不規則呼吸、無呼吸、低体温(三五度)があった。哺乳量一六〇立方センチメートル。

翌八日。酸素は毎分三リットルを継続。不規則呼吸、無呼吸、低体温(35.4度)があった。哺乳量一七〇立方センチメートル。

翌九日。酸素は毎分三リットルを継続。不規則呼吸、低体温(34.5度)があった。哺乳量164.5立方センチメートル。

翌一〇日。酸素は毎分三リットルを継続。不規則呼吸、低体温(34.3度)があった。哺乳量一九〇立方センチメートル。

翌一一日。酸素は毎分三リットルを継続。不規則呼吸、低体温(三五度)があった。哺乳量二〇〇立方センチメートル(嘔吐した分もある。)。

翌一二日。酸素は毎分三リットルを継続。不規則呼吸、陥没呼吸、低体温(34.8度)があった。哺乳量二〇〇立方センチメートル(溢乳した分もある。)。

翌一三日。酸素は毎分三リットルを継続。不規則呼吸、陥没呼吸、低体温(三四度)があった。哺乳量一九五立方センチメートル。

翌一四日。午後四時三〇分に酸素を毎分1.5リットルに減量。低体温(35.2度)があった。哺乳量二〇〇立方センチメートル。

翌一五日。酸素は毎分1.5リットルを継続。哺乳量二一六立方センチメートル。

翌一六日。酸素は毎分1.5リットルを継続。不規則呼吸があった。午前一〇時に一度だけ哺乳瓶にて哺乳した。哺乳量一九〇立方センチメートル。

翌一七日。酸素は毎分1.5リットルを継続。不規則呼吸、無呼吸、低体温(35.2度)があった。哺乳量二二六立方センチメートル。

翌一八日。酸素は毎分1.5リットルを継続。経口哺乳を試みたが、哺乳時に鼻口周囲に軽度のチアノーゼがあった。哺乳量二四〇立方センチメートル。

翌一九日。酸素は毎分1.5リットルを継続。哺乳量二四〇立方センチメートル。

翌二〇日。酸素は毎分1.5リットルを継続。哺乳時の口唇周囲のチアノーゼ、無呼吸、低体温(35.2度)があった。哺乳量二四〇立方センチメートル。

翌二一日。酸素は毎分1.5リットルを継続。哺乳時の鼻口周囲のチアノーゼ、低体温(三五度)があった。哺乳量二四〇立方センチメートル。

翌二二日。酸素は毎分1.5リットルを継続。哺乳時の鼻口周囲のチアノーゼ、呼吸促迫、低体温(三五度)があった。哺乳量二六四立方センチメートル。

翌二三日。酸素は毎分1.5リットルを継続。無呼吸、低体温(35.2度)があった。哺乳量二四九立方センチメートル。

翌二四日。酸素は毎分1.5リットルを継続。低体温(35.2度)があった。哺乳量二六四立方センチメートル。

翌二五日。酸素を毎分一リットルに減量。哺乳時の口周囲チアノーゼ、呼吸促迫、低体温(三五度)があった。哺乳量二六四立方センチメートル。

翌二六日。酸素は毎分一リットルを継続。哺乳時の呼吸促迫、低体温(34.7度)があった。哺乳量二八〇立方センチメートル(溢乳した分もある。)。

翌二七日。酸素は毎分一リットルを継続。哺乳時の呼吸促迫、低体温(34.4度)があった。哺乳量二八〇立方センチメートル。

翌二八日。酸素は毎分一リットルを継続。無呼吸、低体温(三五度)があった。哺乳量二八〇立方センチメートル。

翌二九日。酸素は毎分一リットルを継続。低体温(35.3度)があった。哺乳量二八〇立方センチメートル。

翌三月一日。酸素は毎分一リットルを継続。哺乳量二八〇立方センチメートル。

翌二日。午後三時に酸素投与を中止。無呼吸があった。哺乳量二八〇立方センチメートル。

翌三日。時々四肢の振戦があった。低体温(35.2度)があった。哺乳量三〇〇立方センチメートル。

同月六日。無呼吸があった。哺乳量三〇〇立方センチメートル。

同月八日。哺乳時に口周囲の軽度のチアノーゼがあった。哺乳量二七五立方センチメートル。

翌九日。無呼吸があった。哺乳量三〇〇立方センチメートル。

翌一〇日。哺乳後の口周囲チアノーゼ、無呼吸があった。哺乳量三〇〇立方センチメートル。

翌一一日。哺乳時の口周囲チアノーゼ、無呼吸があった。以後自力哺乳とした。哺乳量三二〇立方センチメートル。

その後、哺乳時のチアノーゼが見られたのは、翌一二日、一五日、一六日、一七日、一八日、一九日、三〇日、三一日、同年四月一日、三日、四日、一〇日、一一日、一二日、無呼吸が見られたのは、同年三月一二日、一三日、一四日、一五日である。

同年四月九日。保育器開放。

翌一〇日。コットへ。

同月一七日。退院。

(三) なお、小松医師は、保育器内の温度については、同年一月二四日に三三度とするように、同年二月一四日に三二から三三度とするように、湿度については、同年一月二四日に一〇〇パーセントとするように、同年二月一二日に八〇パーセントとするように指示を出している。

五原告マミの被害と診療経過

1  原告マミの本症による失明

原告宮下一榮本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告マミは本症に罹患した結果両眼を失明したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  原告マミの臨床経過

原告マミが昭和四八年三月二六日、在胎三二週、生下時体重一五〇〇グラムの未熟児として奥脇医院で出生し、直ちに富士吉田市立病院に転院したこと及び同病院の渡辺泰猛医師が同原告を保育器に収容し、同日から同年四月一八日までの間酸素を投与したことは原告宮下らと被告富士吉田市間に争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告マミは、昭和四八年三月二六日午前四時三〇分、奥脇医院で在胎三二週、生下時体重一五〇〇グラムの未熟児として出生したが、同医院には未熟児保育の設備がなかったので、同日午前五時、直ちに富士吉田市立病院に転院した。転院時、全身に強度のチアノーゼがあり、呼吸促迫、陥没呼吸もあったので、保育器に収容し、毎分五リットルの酸素投与を開始した。原告マミの治療は産婦人科の渡辺泰猛医師が担当した。

保育器に収容して症状が軽減したので、同日午前一〇時に酸素を毎分三リットルに減量したが、顔面のチアノーゼは続いた。

(二) 出生の日の翌日以降の臨床経過は以下のとおりである。

翌二七日。酸素は毎分三リットルを継続。全身チアノーゼ、顔面及び四肢のチアノーゼが一日中続き、呼吸促迫、陥没呼吸、四肢の浮腫があった。

翌二八日。酸素は毎分三リットルを継続。顔面及び四肢のチアノーゼ、呼吸促迫、陥没呼吸、四肢の浮腫があった。カテーテルにより哺乳を開始。ブドウ糖液三立方センチメートル補給。哺乳量一八立方センチメートル。

翌二九日。酸素は毎分三リットルを継続。顔面のチアノーゼ、呼吸促迫、陥没呼吸、四肢の浮腫があった。哺乳量三九立方センチメートル。

翌三〇日。酸素は毎分三リットルを継続。顔面のチアノーゼ、呼吸促迫、陥没呼吸、四肢の浮腫があった。哺乳量六三立方センチメートル。

翌三一日。午後四時に酸素を毎分一リットルに減量。哺乳量八七立方センチメートル。

翌四月一日。酸素は毎分一リットルを継続。哺乳量一一一立方センチメートル。

翌二日。酸素は毎分一リットルを継続。哺乳量一三五立方センチメートル。

翌三日。酸素は毎分一リットルを継続。眼瞼のチアノーゼがあった。哺乳量一五九立方センチメートル。

翌四日。酸素は毎分一リットルを継続。哺乳量一八八立方センチメートル。

翌五日から同月八日。酸素は毎分一リットルを継続。哺乳量各二〇〇立方センチメートル。

翌九日。酸素は毎分一リットルを継続。哺乳量二二五立方センチメートル。

翌一〇日から同月一二日。酸素は毎分一リットルを継続。哺乳量各二四〇立方センチメートル。

翌一三日。酸素は毎分一リットルを継続。哺乳量二五五立方センチメートル。

翌一四日、一五日。酸素は毎分一リットルを継続。哺乳量各二八〇立方センチメートル。

翌一六日、一七日。酸素は毎分一リットルを継続。哺乳量三二〇立方センチメートル。

翌一八日。午後四時に酸素投与を中止。哺乳量三二〇立方センチメートル。

翌一九日。哺乳量三二〇立方センチメートル。

同年五月六日。直接哺乳開始。哺乳量四四〇立方センチメートル。

同月一九日。保育器開放。哺乳量四九〇立方センチメートル。

翌二〇日。コットへ。哺乳量五〇〇立方センチメートル。

同月二二日。退院。

(三) なお、保育器内の温度は三一度、湿度は九〇パーセントに設定したが、原告マミの体温は測定不能の状態が長期にわたってしばしば続いた。

六原告紀子の被害と診療経過

1  原告紀子の本症による失明

原告紀子が両眼を失明していることは原告徐らと被告加納岩病院間に争いがない。また、原告青木義侑本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、右失明は本症に罹患した結果であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  原告紀子の臨床経過

原告紀子が昭和四八年四月五日、在胎八か月、生下時体重一五〇〇グラムの未熟児として中島医院で出生し、加納岩病院に転院したこと及び同病院の中沢忠明及び日野原正幸両医師が同原告を保育器に収容し、同日から同年五月一五日までの間酸素を投与したことは原告徐らと被告加納岩病院間に争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告紀子は、昭和四八年四月五日午前五時一五分、中島医院で在胎八か月、生下時体重一五〇〇グラムの未熟児として出生した。出生時は第Ⅰ度仮死であり、人工呼吸を行った。その後も不規則呼吸、チアノーゼがあった。同医院には未熟児保育の設備がなかったので、同日午前一〇時四〇分、加納岩病院に転院した。直ちに保育器に収容し、毎分三リットルの酸素投与を開始した。保育器内の温度は三〇度(同日のうちに三二度に変更した。)、湿度は八〇パーセントに設定した。原告紀子の治療は中沢忠明(産婦人科)及び日野原正幸(小児科)の両医師が担当した。

(二) 出生の日の翌日以降の臨床経過は以下のとおりである。

翌六日。酸素は毎分三リットルを継続。呼吸状態の不良、低体温(35.2度)があった。保育器内の温度を三三ないし三四度とするように指示。

翌七日。酸素は毎分三リットルを継続。呼吸状態の不良、低体温(34.2度)があった。カテーテルで栄養補給開始。ブドウ糖液六立方センチメートルを補給。

翌八日。酸素は毎分三リットルを継続。呼吸状態の不良、全身の浮腫、黄疸、低体温(34.2度)があった。哺乳量三二立方センチメートル。

翌九日。酸素は毎分三リットルを継続。呼吸状態の不良、黄疸、低体温(34.6度)があった。哺乳量四八立方センチメートル。

翌一〇日から同月二五日。酸素は毎分三リットルを継続。呼吸状態の不良は同月一一日まで続いた。当初は強度の黄疸があり、低体温も継続した。哺乳は次第に増量していった。

翌二六日から同年五月二日。酸素は毎分三リットルを継続。哺乳は次第に増量していった。

翌五月三日。酸素を毎分二リットルに減量。哺乳量二八〇立方センチメートル。

翌四日から同月九日。酸素は毎分二リットルを継続。哺乳量各二八〇立方センチメートル。

翌一〇日。午後五時に酸素を毎分一リットルに減量。哺乳量二八〇立方センチメートル。

同月一四日。酸素は毎分一リットルを継続。直接授乳開始。哺乳量三〇八立方センチメートル。

翌一五日。午後五時に酸素投与を中止。哺乳量三二〇立方センチメートル。

翌一六日。保育器開放。哺乳量三二〇立方センチメートル。

翌一七日。コットへ。哺乳量三四〇立方センチメートル。

翌一八日。中沢医師が眼底検査をしたところ、ほとんど異常がなかった。

同年六月四日。退院。

第三未熟児網膜症について

本症が未熟な網膜に起こる病変で、網膜血管の迂曲怒張に始まり、血管の新生と異常増殖をきたし、進行悪化すれば、重度の視力障害ないし失明に至る疾病であること、未熟児に酸素を投与するのは脳障害や死亡の危険を避けるためであること、当初米国では無制限に高濃度の酸素を投与していたこと、一九四〇年代後半には本症の多発が報告されたこと、K・キャンベル、M・クロス、パッツ、ランマン、キンゼイ、アシュトンらの研究の存在、一九五四年(昭和二九年)の米国眼科耳咽喉科学会のシンポジウムにおける勧告の存在、一九五六年(昭和三一年)、一九五七年(昭和三二年)及び一九七一年(昭和四六年)の米国小児科学会の勧告の存在、ウォーリー・ガードナー法が提唱されたこと並びにPaO2とチアノーゼ及び本症の危険との関連についての研究がなされ、一九六八年(昭和四三年)に、高濃度酸素投与はPaO2の測定によってモニターされるべきであるとする米国カリフォルニア州衛生局の勧告がなされたことは当事者間に争いがない。そして、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すれば、以下の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

一本症に関する研究の歴史

1 一九四二年(昭和一七年)、米国のテリーは未熟児で生まれた子供の眼の水晶体の後部に黄白色を呈する異常を発見し、これを水晶体後部線維増殖症(「Retrolental fibroplasia」以下「RLF」という。)と命名して報告したが、これが本症に関する初めての症例報告である。(その後、RLFに代わって未熟児網膜症(Retinopathy of prematurity)という名称が一般に用いられるようになった。RLFは本症の瘢痕期の終末像のみを示す言葉であり、活動期から瘢痕期までの一連の病変を示す病名としては適当ではないとされるからである。)

米国でアイソレット型と呼ばれる強制循環式閉鎖式保育器が設計されたのは一九三八年(昭和一三年)であり、一九四〇年代から量産され広く使われるようになった。右の保育器を未熟児保育に使用する際には、当初ほとんど無制限に高濃度の酸素を投与していたが、一九四〇年代後半から本症に罹患して失明する未熟児が急増するようになり、深刻な事態となった。また、英国など世界各国でも本症の発生が報告されるようになった。

テリーは本症を先天異常であると考えていたが、一九四九年(昭和二四年)に米国のオーエンスらは本症が未熟児に起きる後天的疾患であることを明らかにした。

オーエンスは、本症の臨床経過を活動期、回復期、瘢痕期の三期に大別し、活動期をⅠ期(血管期)、Ⅱ期(網膜期)、Ⅲ期(初期増殖期)、Ⅳ期(中等度増殖期)及びⅤ期(高度増殖期)に、瘢痕期をⅠ度(軽度の変化)、Ⅱ度(乳頭変形、牽引乳頭)、Ⅲ度(網膜皺襞形成)、Ⅳ度(不完全水晶体後部組織塊)及びⅤ度(完全水晶体後部組織塊)に分類した。

2  一九五一年(昭和二六年)、オーストラリアのK・キャンベルは酸素投与法の異なる未熟児間の本症発生率を比較した結果、本症の原因が酸素投与にあることを推論した。その一方で、フランスのルロンらによる酸素濃度の高低によっては本症発生の頻度に差はないとする報告や米国のツェベクツィクによる酸素欠乏が本症の原因であるとする見解もあったので、本症と酸素療法との関係についての比較対照実験が実施された。

(一) 一九五一年(昭和二六年)に開始された米国のパッツらの実験は、一三六〇グラム以下の未熟児を六五ないし七〇パーセントの酸素を四ないし七週間投与した群と四〇パーセント以下の酸素を二四時間ないし二週間投与した群とに分け、比較対照を行ったものであるが、前者では六〇パーセントに瘢痕期の本症が発生したのに対し、後者ではそれが二〇パーセントにとどまり、しかも軽症であった。

(二) 一九五二年(昭和二七年)に開始された米国のランマンらの実験は、六九プラスマイナス6.5パーセントの酸素を投与した群と三八プラスマイナス7.7パーセントの酸素を投与した群で比較対照を行ったものであるが、前者では三六名中八例に重度の瘢痕期の本症が発生したが、後者では二八名中一例の発生もなかった。そして、ランマンらは、酸素を臨床的に必要な時だけ、できるだけ短期間、四〇パーセント以下の濃度で投与することによって本症を完全にまたはほぼ完全に予防することができると述べた。

(三) 一九五三年(昭和二八年)に開始された米国のキンゼイらの実験は、一五〇〇グラム以下の未熟児を五〇パーセント以上の酸素濃度で約二八日間保育した群と臨床的に可能な限り酸素を制限し、酸素濃度が五〇パーセントを超えないようにした群との大規模な比較対照を行ったものであるが、前者では瘢痕期の本症の発生の頻度が有意に高く、瘢痕期の本症は酸素投与期間が長くなると増加していた。当時右研究は本症の原因が酸素にあることを確定的にしたものと考えられた。

3  一九五三年(昭和二八年)、米国のアシュトンらは未熟な網膜を有する子猫を六〇ないし八〇パーセントの酸素に曝すと網膜上の発育途上の血管が閉塞し、硝子体などへ新生血管が成長してゆくという本症と類似の変化が起こることを実験的に確かめ、同年、パッツらも多種類の動物実験で同様の結果を得た。しかし同時に、長期的に観察すると、動物の場合は人間と異なり網膜は正常に戻り、網膜剥離や瘢痕形成にまで至らないことも判明した。

4  右のように酸素投与が本症の原因であることを示す研究が次々と発表されるに至り、一九五四年(昭和二九年)には、米国眼科耳咽喉科学会のシンポジウムにおいて、酸素はチアノーゼあるいは呼吸障害がある時にのみ使用し、呼吸障害がとれたら直ちに酸素を中止すること、未熟児に対し呼吸障害がないのに補足的に酸素を投与することは中止するようにとの勧告がなされた。

一九五五年(昭和三〇年)、米国カリフォルニア州衛生局は、酸素は、特別な理由があり、医師による文書の指示のある時に、四〇パーセントを超えない濃度でのみ与えるべきであると勧告した。

一九五六年(昭和三一年)、米国小児科学会胎児新生児委員会は、キンゼイらの研究結果を受けて、①酸素は医師の処方によってのみ投与すること(緊急時を除き)、②酸素はルーティンに投与してはならない、③酸素濃度は症状改善のために必要な最低限にすること、できれば四〇パーセントを超えないこと、④適応がなくなったらできるだけ早く酸素投与を中止すること、⑤通常、酸素投与の適応は全身性チアノーゼ(末梢性のそれではなく)と呼吸困難である旨の勧告をした。

一九五七年(昭和三二年)、同学会は、右の勧告に、更に⑤全身性チアノーゼと呼吸困難の治療が緊急に必要かどうかは、医師の臨床的判断による、⑥酸素濃度は酸素分析器によって測定しなければならない、また、安定した濃度に保つために必要なだけ頻回に、少なくとも四時間ごとに測定しなければならない、⑦四〇パーセント以上の酸素濃度にならないような装置は、酸素が過剰にならないことを保証するであろうが、もっと高濃度酸素の適応例のためには別の酸素供給装置が必要である。⑧五ポンド以上の子供への酸素投与にははっきりとした禁忌はない旨の各項目を付け加えた。

右のように未熟児に対する酸素投与が厳しく制限された結果、本症による失明ないし重大な視力障害の発生数は激減するに至り、以後、四〇パーセント以下の濃度の酸素投与では本症の危険がないという、現段階の知見からすると誤った認識が小児科医の間に広く定着することになった。

5 右のように酸素療法と本症との関係が指摘されたのと同じころ、従来剖検で診断されるだけであった肺硝子膜症が臨床的疾患として認識され、特発性呼吸窮迫症候群(「Idiopathic respiratory distress syndrome」以下「IRDS」という。)と呼ばれるようになった。IRDSは未熟児の死因の第一位を占め、肺胞の拡張不全に伴う呼吸困難とチアノーゼを主徴とする疾患であり、IRDSの患者は四〇パーセントの酸素を投与してもチアノーゼが消失しないことがしばしばであり、深刻な低酸素症に陥っていることが明らかにされた。

一九六〇年(昭和三五年)、米国のアベリーとオッペンハイマーは、IRDSの罹患率及び死亡率が酸素を自由に使っていた一九四四年(昭和一九年)から一九四八年(昭和二三年)の間に比べて、酸素使用が制限されるようになった一九五四年(昭和二九年)から一九五八年(昭和三三年)の間には増加していると報告し、一九六三年(昭和三八年)、米国のマクドナルドは、極小未熟児として生まれた子供を調査したところ、RLFの発生率と脳性麻痺の発生率には逆の関係があり、酸素投与期間の長い者にはRLFが多いが、脳性麻痺が少ないことを報告した。そこで、一九六〇年代になると、未熟児の酸素療法に再び大きな変革がもたらされ、低酸素状態の未熟児には注意しながら高濃度の酸素投与が行われるようになった。そして、ここに再び本症が増加する可能性が懸念されるようになった。

6  一九六二年(昭和三七年)、英国のウォーリーとガードナーは適正な酸素濃度を設定するための基準として、まずチアノーゼが消失するまで酸素濃度を高め、それから徐々に濃度を下げて、再びチアノーゼが現れるときの濃度を調べ、その濃度より四分の一だけ高い濃度になるよう酸素供給量を維持する方法を提唱した(ウォーリー・ガードナー法)。

7  一九六〇年代後半になると血液ガス分析装置が臨床に使用されるようになり、呼吸管理のためにPaO2の測定が行われるようにもなったが、その結果、未熟児の呼吸状態によってはたとえ環境酸素濃度が四〇パーセント以下であってもPaO2が十分に上昇しないことがあるし、逆に危険域に達する程の高値になることもあることが知られるようになった。特にIRDSに罹患している未熟児の場合には生存に必要なPaO2を確保するために時には一〇〇パーセントの酸素を投与しなければならないこともあると指摘された。

また、本症の原因についての研究から、本症の発生に関係しているのは環境酸素濃度ではなく、網膜血管中の酸素分圧であると考えられるようになった。

一九六八年(昭和四三年)、米国カリフォルニア州衛生局は、これまでの酸素供給の制限が厳しすぎたことに気づき、もしPaO2が測定され、その必要性が文書で示されれば、四〇パーセント以上の酸素濃度も許されるように勧告と保健コードを改めた。

一九七一年(昭和四六年)、米国小児科学会胎児新生児委員会も、次の要旨の勧告を行った。

(一) 正常な新生児のPaO2は六〇ないし一〇〇mmHgである。酸素療法中はPaO2を六〇ないし八〇mmHgの間に維持すべきであり、一〇〇mmHgを超えないこと。

(二) PaO2を正常域に保つためには比較的高濃度の酸素を投与してもよい。

(三) 血液ガス測定ができない場合、成熟児であれば全身性のチアノーゼを消失せしめるのに必要な最小限の酸素を投与してもよいが、在胎三四週以下または生下時体重二〇〇〇グラム以下の未熟児で四〇パーセント以上の酸素を長期間投与しなければならない時は血液ガス測定が可能な病院で治療すべきである。

(四) PaO2測定のための理想的な採血部位は橈骨動脈または側頭動脈であるが、臍帯動脈にカテーテルを挿入して下行大動脈から採血してもよい。

(五) 酸素療法中は少なくとも二時間ごとに環境酸素濃度を測定しなければならない。

(六) 児の状態が急速に改善してゆく場合、投与酸素濃度はPaO2を正常域に維持するように注意深く下げるべきである。

二日本における本症への対応と酸素療法

1  日本では米国で本症が多発した一九四〇年代後半から一九五〇年代前半には未熟児医療施設が少なく、強制循環式閉鎖式保育器も作られておらず、また、同保育器が一般的に使用されるようになったのは、米国において酸素投与が厳しく制限された後であり、そもそも未熟児を高濃度の酸素環境で保育することがなかったため、本症の多発を経験せず、本症に対する関心が低かった。一部に症例の報告はあったものの、小児科医及び眼科医のほとんどは本症は過去の疾患であり、高濃度の酸素投与を行っていない日本ではまず発生しないものと考えていた。

昭和三九年以降、国立小児病院の植村恭夫らは日本においても本症が発生していることを報告し、しかもそれが増加傾向にあることを警告して、未熟児の眼科的管理の重要性を説き始めた。これを契機にその後、各地で本症の発生が報告されるようになった。

2  本症の発生が次第に意識されるようになるに連れて、未熟児に対する酸素投与の方法についても以下に示すように注意が払われるようになっていった。

(一) 多くの新生児担当医が診療の際に参照していた文献である「小児の治療保健指針」(いわゆる「東大小児科治療指針」)の記載は未熟児に対する酸素投与については次のように述べている。

同書の昭和三八年版では、チアノーゼや呼吸困難を示さない未熟児に対しても、すべて酸素を供給すべきかどうかについては議論があるとしながらも、筆者は生下時体重が一二〇一ないし一五〇〇グラムの例には一から二週間ルーティンな酸素の供給を行っているとしている。また、RLFを予防するため、酸素濃度は六〇パーセント以下とし、通常四〇パーセント程度に止める、酸素の供給を中止する際には、数日間にわたって徐々に環境酸素濃度を低下せしめるとしている。(右のように酸素の供給を中止する際には、いきなり中止せずに、徐々に酸素濃度を低下させてゆくという方法(以下「漸減法」という。)は、本症は未熟児を高濃度の酸素環境から急に空気環境に戻すと、相対的網膜低酸素を起こすために発生するものであるという考え方に基づいている。)

同書の昭和四四年版では、チアノーゼや呼吸困難を示さない未熟児に対しても、ルーティンに酸素投与を行うこともあるが、この場合には酸素濃度は三〇パーセント以下にとどめる。酸素投与の期間はなるべく短い方がよい、しかし、IRDSやチアノーゼの認められる場合には更に高濃度の酸素を使用する必要があるとしている。

(二) 次に毎年改訂される治療書「今日の治療指針―私はこうして治療している」の記載を見ると、次のようになっている。

同書の昭和四四年版では、「酸素濃度は四〇パーセント以下にとどめ、児にチアノーゼなどがあれば、間歇的に一五分ぐらいは器内酸素濃度を六〇パーセント以上に上昇させる。酸素投与期間の目安は、特に呼吸窮迫、チアノーゼなどのない未熟児でも生下時体重一五〇〇グラム以下の時は最短一週間、二〇〇〇グラム以下三日間とする(関西医科大学松村忠樹執筆)。未熟児に対する酸素投与は、これまで三〇ないし四〇パーセントに抑えなくてはならないと強調されてきたが、この限界は合併症のない未熟児に対する持続投与の場合であって、呼吸障害を伴う時はこれにとらわれることなく、高濃度の酸素を与えても差し支えない(国立岡山病院山内逸郎執筆)。」旨記されている。

同書の昭和四五年版では、IRDSのある時は、できればPaO2を測定し、五〇ないし一〇〇mmHgに保たれるよう環境酸素濃度を維持するとし、ウォーリー・ガードナー法を紹介している。また、酸素投与中は、一日数回酸素濃度を下げてチアノーゼが現れるかどうか観察し、チアノーゼが現れなければ速やかに酸素を減量ないし中止するとしている(国立小児病院奥山和男執筆)。

同書の昭和四六年版では、「呼吸困難のある場合、原則として患児は保育器に収容して、直ちに酸素吸入を開始する。器内の酸素濃度は症例によって異なるが、一般に四〇パーセント以下とする。チアノーゼがあれば、これの消えるまで濃度を上げる。PaO2は一〇〇mmHg以上上げる必要はない。PaO2を指標に酸素濃度を決定するのが最良であるが、PaO2測定が不可能な場合はウォーリー・ガードナー法によればよい(前記松村忠樹執筆)。」とする。

同書の昭和四七年版では、「呼吸困難がある場合無酸素症を防ぐために十分な酸素を供給する。酸素投与量はチアノーゼが消失する程度にする。PaO2に注意する(神奈川県立こども医療センター小宮弘毅執筆)。」とする。

3  昭和四三年、日本小児科学会新生児委員会は未熟児管理に関する勧告を出したが、酸素投与については、わずかに「医師の指示によって行う。保育器内の酸素濃度は定期的に測定、記録されなければならない。」と述べているだけである。

昭和四六年一〇月発行の「季刊小児医学四巻四号」や同年一一月発行の「日本小児科学会雑誌七五巻一一号」で前記奥山和男は、未熟児に対する酸素療法の原則として、①未熟児に対してルーティンに酸素を与えるのは避け、呼吸障害やチアノーゼがある場合にのみ酸素を使用し、しかも必要最低限の量とすべきである、②未熟児に酸素を投与するときには、PaO2を測定しながらその値を正常に維持するようにするのが望ましい、③PaO2を測定しながら酸素の投与量を加減するのは現段階では実際上困難なので、臨床的には全身的なチアノーゼを基準として酸素の投与量を決めること(例えばウォーリー・ガードナー法)が広く行われている、④酸素療法中は、時々保育器内の酸素濃度を減少してみて、チアノーゼが現れるかどうかを観察し、現れなければ速やかに酸素を減量ないし中止すべきである、⑤保育器内の酸素濃度は頻回(できれば二時間ごと)に測定し、記録しておくとしている。

しかしながら、右の内容は昭和四六年当時における日本で最も水準の高い医療機関の一つである国立小児病院の医師により最新のものとして提唱された酸素療法であると理解すべきであり、これを当時の臨床医学の実践における医療水準であったと即断することは相当ではない。昭和四六年から昭和四八年当時の一般医療の現場では生下時体重が一五〇〇グラム未満の極小未熟児にはルーティンに酸素を投与するのが通常であり、本症に対し特に関心を持っている一部の小児科医、眼科医を除いては、酸素濃度が四〇パーセント以下であれば本症は絶対に発生しないものと考えている医師がほとんどであった。

4  以上判示したところに現れた様々な酸素投与量についての決定基準は現時点では次のように評価されている。

(一) 四〇パーセント以下に制限する投与法

米国において酸素投与を四〇パーセント以下の濃度に制限してRLFの発生を激減させて以来、長い間小児科医の間では四〇パーセント以下の酸素を投与していれば本症の危険はないと信じられてきたが、前記のように本症の発生に関係しているのは環境酸素濃度ではなくPaO2であると考えられており、環境酸素濃度とPaO2値との間には対応関係がないこと、IRDS治療にはより高濃度の酸素が必要とされることなどから、今日では合理的かつ有用な酸素投与法であるとは見られていない。

(二) ウォーリー・ガードナー法

ウォーリー・ガードナー法は臨床的には実用的な方法ではあるが、実際の医療現場では未熟児のチアノーゼの有無の判定に困難を伴うことが多い。しかも、血液中のヘモグロビンの酸素飽和度が約八〇パーセント以下になるとチアノーゼが現れ、この時のPaO2は約四〇mmHgなのであるが、新生児ではPaO2が五〇mmHg程度が生理的最低値と考えられており、また、ヘモグロビンの酸素飽和度が八〇パーセント以上になるとチアノーゼが消失するが、その時のPaO2は六〇mmHgの時もあれば三〇〇mmHgという著しい高値の時もあるなどチアノーゼの発現とPaO2値との間には一定の対応関係があるわけではないので、必ずしも精密な方法であるとは言えない面がある。また、反復する無呼吸発作のある未熟児の場合に持続的に酸素投与を行うと無呼吸時に低下したPaO2が呼吸開始と共に著しく上昇することになるので本症の発生に関しては危険であり、このような症例には適切な酸素濃度決定のためにウォーリー・ガードナー法を適用することができない。ウォーリー・ガードナー法は、あくまでも(三)のPaO2を指標とする方法が不可能な場合の補完的なものと考えられている。

(三) PaO2を指標とする方法

前記のとおり未熟児に対して酸素投与を行う際に、酸素の眼あるいは脳に対する影響を考える上で問題になるのはPaO2であるとされており、脳の低酸素血症をきたすほどには低くなく、また本症を起こすほどには高くないPaO2値を見出す努力が現在でも続けられている。

従前はPaO2を測定するには血液を採取して検査するより外に方法がなかったが、極小未熟児の場合に網膜動脈血のPaO2を測定するため側頭動脈や橈骨動脈から頻回に採血するのは極めて困難であった。そこで、一般には臍帯動脈からカテーテルを挿入し下行大動脈からの採血が行われていたが、この方法では右―左短絡がある新生児の場合には網膜のPaO2を正確に反映しないことがあるし、また、カテーテルの挿入、留置によって血栓形成、出血、感染等の危険を伴うので長期間の酸素投与を必要とする未熟児には用いることができないという問題があった。

昭和五〇年代になると経皮的酸素分圧測定装置の開発により未熟児に侵襲を加えることなく血液酸素分圧(tcPO2)を連続測定することが可能となったが、その結果、呼吸障害を有する未熟児の血液酸素分圧の変動は非常に大きく、間歇的な測定では真のPaO2を反映していないことが明らかになった。

なお、前記のとおり米国小児科学会の勧告等を参考にして、PaO2は六〇ないし八〇mmHgの範囲内に保つのが望ましいとはされているが、現在に至るも、PaO2がどの程度に上昇すれば網膜が障害されるのか、PaO2がどれくらいの時間高いままに保たれると網膜が障害されるのかは解明されていない。

三本症の原因及び発生の機序

1  胎児の網膜は胎齢四か月までは無血管であるが、それ以降、網膜血管が乳頭上より上下耳鼻の四象限において、周辺に向かって発達して行く。この発達は鼻側の方が耳側よりも速く、胎齢八か月の段階で鼻側は周辺の鋸歯状縁まで達するが、耳側はいまだそこまで達していない。したがって、未熟児として出生した場合には、網膜がいまだ発育途上であり、通常はその未熟性が強ければ強いほど網膜上に広い無血管帯を残していることになる。そして、そのような血管が未発達の部分に本症が好発することが知られている。そのため、生下時体重が一六〇〇グラム以下、在胎三二週までの未熟児は本症の発生の頻度が高いことになるのである。

本症の発生の機序については、動物実験の結果や病理学的研究から、PaO2の上昇により未熟な網膜血管の収縮閉塞が起こり、それによって引き起こされた虚血の結果、続発性変化として血管が増殖し、病変が起こると考えられている。しかしながら、酸素がどのように網膜血管に作用して原発性変化としての収縮閉塞を引き起こすのか、また、その後の続発性変化に酸素がどのように関係しているのかについては今日に至るもいまだ解明されていない。

2  右のように、網膜の未熟性すなわち無血管帯の存在が本症発生の絶対的素因であることについては異論を見ないが、本症の原因として酸素投与をどのように位置づけるかについては現在でも依然として議論が多い。

本症に罹患して失明ないし重度の視力障害に至る作用の機序は未解明ではあるが、米国において酸素投与の制限によって本症の発生が漸減し、一時は本症が過去の疾患と考えられるようにすらなったこと、動物実験の結果及びその他多くの研究結果等から、酸素が本症発生の誘因の一つであることについては従来から広く認められているところであり、それを否定し去るに足りるだけの研究結果はいまだ現れていない。

しかしながら、一方では、動物実験の場合には酸素による血管の収縮閉塞とそれに続く血管増殖は認められるが、人の場合と異なり網膜剥離にまで至ることがないこと、酸素投与を全く受けていない未熟児の中にも本症に罹患する例が多数報告されていること、出生直後に既に本症に罹患している例の報告もあること、同程度の酸素投与を受けた同程度の未熟児であっても本症が発生したりしなかったりすること、現在、経皮的に連続してPaO2をモニターしながら厳重な酸素管理のもとで未熟児を保育している施設でも本症は依然発生し続けていること等酸素投与以外の要因が存在することを推測させる事実も多く存在し、様々な研究が続けられている。現在酸素以外の本症発生の因子として指摘され、研究されているものとしては交換輸血、貧血、無呼吸発作、動脈管開存症、敗血症、脳室内出血、双胎、光の刺激などがあるが、いまだ結論が出るには至っていない。

3  右のように今日では本症は未熟性を基盤とするが、その発生と進行には酸素のほかそれ以外の多くの因子も影響を及ぼしていると考えられている。もっとも臨床上重要なのはその大部分(九〇パーセントとする報告もある。)が自然治癒する本症発生の危険因子ではなく、活動期の本症が自然治癒することなく進行悪化して重度の瘢痕や網膜剥離に至ってしまうことに作用する因子である。その観点からみると、酸素投与期間が長いこと及び酸素投与量が多いことが本症の重症化に影響する因子であること、近年は経皮的に血液酸素分圧のモニタリングを実施し、理想的な酸素管理が行われるようになった結果進行悪化して重症瘢痕を残す例が少なくなったことなどは、今日の研究でも報告されている。しかし、重度の瘢痕期の本症に至る症例数が少ないため、個々の研究者がこれを本症の進行悪化の原因を検討するための統計的解析の対象とするにはおのずと限界があることもまた指摘されている。

第四光凝固及び冷凍凝固について

一光凝固は、瞳孔から射入される光束を網膜の特定箇所に集光して網膜組織及び脈絡膜を加熱凝固し、網膜と脈絡膜の癒着により網膜剥離を阻止したり、病変組織を熱破壊する治療術であること、冷凍凝固は、光凝固における光のかわりに冷却した網膜用ペンシルを用いて凝固を行うもので、その作用原理は光凝固と同じであること、本症に対する治療として、天理よろづ相談所病院の永田誠らが光凝固を、東北大学の山下由紀子らが冷凍凝固を実施し、その結果を医学雑誌に論文として掲載したこと及び厚生省研究班が本症の診断及び治療基準に関する研究を行い、その成果の発表がなされたことは原告らと被告甲府市、同富士吉田市、同山梨県及び同加納岩病院間に争いがない。そして、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すれば以下の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二1  昭和四二年、天理よろづ相談所病院の永田誠らは、本症に罹患し血管新生の成長が硝子体内に進出し始めた(オーエンス分類の活動期Ⅱ期からⅢ期に移行した)二例に対する治療として、網膜周辺部の限局性滲出性病変と新生血管に対し光凝固を試みたところ、頓座的に病勢が終息することを経験した。そして、昭和四三年四月、「臨床眼科二二巻四号」に「未熟児網膜症の光凝固による治療」を、同年一〇月、「眼科一〇巻一〇号」に「未熟児網膜症の光凝固による治療の可能性について」を掲載し、その検討結果を報告した。永田らは、その後更に四例に対して光凝固を実施し、同様に病勢の進行の停止を見たので、昭和四五年五月、「臨床眼科二四巻五号」に「未熟児網膜症の光凝固による治療Ⅱ」を掲載し、検討結果を報告すると共に光凝固実施時期の重要性についての考察も加えた。また、永田は同年一一月、「臨床眼科二四巻一一号」に掲載した「未熟児網膜症」において、これまでに光凝固を実施した一二例中オーエンスの活動期Ⅲ期までに実施した一〇例はいずれも後極部にほとんど瘢痕を残さず治癒したと述べると共に本症における眼底検査の要点についても解説した。

2  昭和四六年四月、関西医科大学の上原雅美らは、昭和四四年から昭和四五年にかけて、五例八眼に対して右永田らの提唱にかかる光凝固の追試を行い、光凝固は適当な時期に実施すれば病勢進展阻止に極めて有効であるが、症例中には、早期の光凝固を要する進行速度が極めて速い重症例や極端な未熟児で眼底周辺の観察が可能になった時には既に治療の適期を失している例もあることを報告した(「臨床眼科二五巻四号」)。

3  昭和四六年九月、九州大学の大島健司らは、昭和四五年に、本症に罹患して活動期病変がオーエンスⅢ期以上に進行し放置すればⅢ度以上の瘢痕を形成すると思われた二三例に対し光凝固を実施したところ、活動期Ⅳ期まで進行してから実施した二例三眼を除いては著効を奏したことを報告した(「日本眼科紀要二二巻九号」)。

4  昭和四六年一二月、兵庫県立こども病院の田渕昭雄らは、オーエンスの活動期Ⅱ期に進行し、将来明らかにⅢ期へ進行しそうな二例に対して光凝固を行い、現在のところ有効であるようだが、この手術の適応などについては更に検討を加える必要があると思われると述べた(「眼科臨床医報六五巻一二号」)。

5  東北大学の山下由紀子は、本症の治療に光凝固が有効であるならば冷凍凝固も同様に有効であるはずであると考え、昭和四五年以来、オーエンスの活動期Ⅲ期に至り自然治癒が望めないと思われる八例に対し冷凍凝固を行ったところ、いずれも将来重篤な視力障害を残さないと思われる程度の瘢痕で治癒させえたとし、昭和四七年三月、「臨床眼科二六巻三号」に「未熟児網膜症の検索(Ⅲ)―未熟児網膜症の冷凍療法について」を掲載し、その検討結果を報告した。

6  昭和四七年一月、長崎大学の本多繁昭は、一〇例に光凝固または冷凍凝固を実施し、本症の進行を停止治癒させることができたと報告した(「眼科臨床医報六六巻一号」)。

7  同年三月、永田らは、「臨床眼科二六巻三号」に「未熟児網膜症の光凝固による治療(Ⅲ)―特に光凝固実施後の網膜血管の発育について―」を掲載し、過去五年間に光凝固を実施した二五例のうちオーエンスⅢ度以上の重症瘢痕を残したのは治療の適期を過ぎていた二例だけであると報告した。

8  同年五月、名鉄病院の田邊吉彦らは、光凝固を行った二三例中二〇例に著効を見たと報告し、オーエンスの活動期Ⅲ期までに光凝固を実施すれば、本症はほぼ確実に治癒させることができると述べた(「日本眼科学会雑誌七六巻五号」)。

9  同年七月、前記田渕昭雄らは、光凝固を実施した一〇例のうち、発症時より進行が極めて急速であった一例と来院時よりオーエンスの活動期Ⅳ期を呈していた一例を除く八例で本症の進行が阻止でき、光凝固の効果は疑う余地がないとしながらも、光凝固による網膜の組織学的変化が著しいのでその損失を最小限に抑えるように治療の適期の判定に努力しなければならないと述べた(「臨床眼科二六巻七号」)。

三昭和四八年四月ころまでの間に発表された本症の光凝固あるいは冷凍凝固による治療例報告のうち公刊された主なものは以上のとおりである。なお、そのころまでになると眼科、小児科、産科の専門書で、本症の有効な治療法として光凝固・冷凍凝固が実施されていることを啓蒙的に紹介するものも現れた。しかし、この段階では、もともと自然治癒率の非常に高い本症に対し臨床の場における実践として光凝固・冷凍凝固を実施するためには不可欠な事項である光凝固・冷凍凝固の適応例の選別判定、実施の時期、凝固の部位・方法等についての基準がいまだ一般的に確立されておらず、眼科領域の先駆的研究者が他の研究者の報告を参考にしつつ各自の判断で実験的に追試をしていたと評しうる状況であった。また、治療症例の発表に際しても、多くの研究者はオーエンスの分類に依拠して発症率、自然治癒率、光凝固・冷凍凝固の適応・限界などを論じていたが、右分類は光凝固・冷凍凝固の実施を前提とする診断及び治療のための分類基準としては不十分な点が多く、混乱が生じていた。

加えて、本症はもともと稀な疾患であるのでその典型的な病像を見る機会を豊富に経験している専門の眼科医の数はおのずと限定されざるをえず、未熟児の眼底を検査した上で治療の要否、適切な治療時期などの判断を的確に下すことのできる医師の養成は将来的な課題であり、また、未熟児に光凝固・冷凍凝固を実施するのに不可欠な条件である小児科ないし産科と眼科との緊密な協力体制の確立も永田らがその整備を呼びかけているという状況であった。国立東京第二病院の石塚祐吾と神奈川県立こども医療センターの小宮弘毅は昭和四九年八月、東京都下及び神奈川県下の九三の施設を調査した結果、そのような未熟児医療体制の確立が同地区においてもいまだ不十分であり、光凝固装置保有率も25.8パーセントに過ぎないことを報告している(「小児科臨床二八巻四号」)。

その後、本症には比較的緩徐な進行経過をとる自然治癒傾向の強い型(Ⅰ型)と比較的速い経過で網膜剥離を起こす自然治癒傾向の少ない予後不良の型(Ⅱ型)の大別して二種類の型があることが明確に認識されるようになったこともあり、診断面においても治療面においても研究者の間で基準に統一を欠くことによる不都合が一層論議されるようになり、統一的な基準の作成を望む声が強くなった。そこで、昭和四九年度の厚生省特別研究費補助金を受け、本症の診断及び治療基準に関する研究を主たる目的として、本症に関する主だった眼科研究者に小児科、産科等の研究者を加えた一二名(植村恭夫(主任)、塚原勇、永田誠、馬嶋昭生、松尾信彦、大島健司、山下由紀子、森実秀子、山内逸郎、奥山和男、松山栄吉及び原田政美)の研究班が組織され、本症に関する「活動期の診断基準及び臨床経過分類」、「瘢痕期の診断基準と程度分類」並びに「治療の適応、時期、方法」についての研究を行った。同研究班は、本症の治療には未解決の問題点がなお多く残されており、現段階で決定的な治療基準を示すことは極めて困難であるとしながらも、当時における本症の診断及び治療の一応の統一基準を作成、提示した。右研究は昭和五〇年八月に「日本の眼科四六巻八号」に掲載された。ここにおいて初めて我が国における本症の診断及び治療についての統一的な基準が設定され、臨床的研究面における混乱は一応解消されるに至り、その後の本症に関する統一的研究の足がかりが出来たのである。なお、Ⅱ型の定義については右研究の中でもあいまいなままにとどまっており、明確な形での規定は昭和五一年一月の国立小児病院の森実秀子の「未熟児網膜症第Ⅱ型(激症型)の初期像及び臨床経過について」(「日本眼科学会雑誌八〇巻一号」)を待たなければならなかった。(もっとも、本症の臨床経過の分類については、昭和五七年に右厚生省研究班の基準に一部手直しが加えられ、一九八三年(昭和五八年)には未熟児網膜症の国際会議のもとで国際分類が発表され、国際的に統一した分類基準にまとめられつつある。)

その後昭和五〇年代になると前記Ⅱ型の本症については光凝固や冷凍凝固を実施しても失明に至る例が報告され、それまでの成功例の報告はいずれも自然治癒率の非常に高いⅠ型のものではないかとの疑問が呈せられ、光凝固及び冷凍凝固は比較対照実験(コントロール・スタディ)を経ていないからその有効性が客観的に証明されていないとする批判もなされるようになった。同時に光凝固及び冷凍凝固は小児の眼にとっては強い侵襲となることから、光凝固及び冷凍凝固による凝固瘢が将来に及ぼす影響を懸念し、不必要な症例にも光凝固・冷凍凝固が行われ過ぎていると警告する意見も出された。しかしながら、その一方で近時は海外の研究者からも、比較対照実験を行ったところ冷凍凝固は有効であるとする報告もあり、また、永田らも昭和六一年八月の論文で、最初の光凝固の治療から一九年が経過したが、光凝固治療そのものが網膜機能に悪影響を与えるかも知れないとの当初抱いた懸念は杞憂であったことが明らかとなった旨述べるなど(「周産期医学一六巻八号」)現在光凝固及び冷凍凝固の医学的評価については専門家の間でも混迷しているという状況である。

第五被告甲府市、同富士吉田市、同山梨県及び同加納岩病院の責任について

一医師の注意義務

人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する医師は、その業務の性質に照らし、実験上必要とされる最善の注意義務を要求されると解すべきであるが、右注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であると言うべきである。したがって、医師の行った医療行為が当時の右医療水準に照らして不相当であるときあるいは自己の有する技術ないし医療設備によっては右医療水準にある医療行為を実施できないにもかかわらず、それが可能な他の適切な医療機関に患者を転院させなかったときには当該医師に注意義務違反が認められ、右注意義務違反により生じた結果について責任を負わなければならないのは当然である。しかし、一部の研究者ないし先端的医療機関において新たな理論あるいは医療技術として提唱され実施されてはいるが、いまだ確実な療法として臨床医学の実践に定着するまでには至っていないものについては、たとえ医師がそのような療法を患者に施さず、また右療法を実施しうる他の医療機関に患者を転院させなかったとしても、当該医師に注意義務違反があると認めることはできない。

そこで以下原告児らの診療に当たった個々の医師らに右注意義務違反が存するかどうかについて検討し、被告甲府市、同富士吉田市、同山梨県及び同加納岩病院の責任について判断していくこととする。

二未熟児網膜症発症責任

1 前記第三で判示した事実によれば、原告児らが出生した昭和四六年から昭和四八年ころまでの間において、生下時体重が一五〇〇グラム以下の未熟児に対する酸素投与法として臨床医学の実践において広く採用されていた方法は、チアノーゼや呼吸困難を示さない未熟児に対しても総合的な全身状態の所見如何によってはルーティンに酸素を投与することがあり、その際の酸素濃度は四〇パーセント以下に抑え、酸素投与を中止するときには漸減法によるというものであったと認めるのが相当である。今日の進歩した医療水準から見ると、右のような投与法では不十分であると言わざるをえないのも前記判示のとおりであるが、酸素不足による死亡や脳障害の発生と過剰な酸素投与による本症の発生という解決困難な二律背反に直面した臨床医学の現場においては、右の投与法が、過去米国においてそのような形で酸素投与法の制限が行われて以降本症の発生が激減した経験があることなどから、合理性を有するものと考えられていたとしてもことさら異とするに足りない。

加えて、新生児の未熟度、呼吸障害の程度、合併症の有無、活動性等の全身状態の所見は個々の未熟児によって著しく異なるのが通常であって、医師は酸素投与の一般的指針を念頭に置きつつも、その専門的合理的な裁量により酸素投与の適応、投与量、投与期間を決定する余地が存するのも医療行為の性質上当然のことであると言うべきである。

原告らは、昭和四六年から昭和四八年当時、未熟児に対して酸素を投与する医師が従うべき基準は、「酸素は全身性チアノーゼまたは呼吸窮迫のある場合に限って、なるべく四〇パーセントの濃度を超えないように投与し、投与中はPaO2を測定してその値が一〇〇ないし一五〇mmHgの範囲内になるように注意し、PaO2が測定できない場合にはウォーリー・ガードナー法に従う。」というものであった旨主張するが、同じく前記第三に判示した事実に照らせば、PaO2を測定しながら酸素投与量を調節するという方法は、当時においてはいまだ臨床医学の実践における医療水準になっていなかったと言うべきであるし(もっとも、前認定のように、今日においても本症の発生に関して安全なPaO2があるのかどうかは分かっていない。)、また、ウォーリー・ガードナー法も必ずしも有効かつ精密な方法であるとは評しえないから、当時基準として準拠すべき投与法になっていたと認めることはできない。したがって、原告らの右主張は採用することができない。

そこで、以下右を前提に原告児らの診療を担当した個々の医師らの措置の適否について判断する。

2  被告甲府市の責任

(一) 前記第二の二及び第三に判示したところによれば、原告弘美の本症罹患と瀧沢医師らが原告弘美に対して行った酸素投与との間には、他に特段の事由の主張、立証がない以上、因果関係があると認めるのが相当である。

(二) そこで瀧沢医師らが行った酸素投与法の当否について判断するに、前記第二の二に判示した事実並びに〈証拠〉によれば、同医師らは、昭和四四年一二月発行の「小児科治療指針(改訂第六版)」(いわゆる「東大小児科治療指針」)を主に参考にして、濃度が四〇パーセントを超えないように指示をしながら、酸素投与を開始し、その後、哺乳量の増加を全身状態改善の目安として酸素投与量を漸減させていったことが認められ(右認定を覆すに足りる証拠はない。)、原告弘美の全身状態が前記判示のとおり当初は全身のチアノーゼやIRDSを伴うなど相当な重症であり、その後も不規則呼吸、無呼吸、黄疸、低体温の状態が続いていることに鑑みれば、同医師らが原告弘美には酸素投与が必要であると判断したこと、酸素の投与期間、投与量を前記第二の二に判示のとおり決定したことには当時の臨床医学の実践における医療水準に照らして何ら医師に委ねられた裁量を逸脱するような不合理な点は認められないと言うべきである。よって、同医師らが医療行為として実施した原告弘美に対する酸素投与には原告弘美に本症を発生させたことについての注意義務違反ないし過失を認めることはできない。

(三) 更に原告岡﨑らは、原告弘美は低体温が続き栄養補給も不十分であったのに瀧沢医師はそれらに対し適切な保育措置、医療措置を講ぜず、同医師の原告弘美に対する全身管理は当時の医療水準に照らして注意義務違反が認められる旨主張するので、この点につき判断する。

そもそも、未熟児の全身管理を良好に保っていさえすれば本症が発生しても自然治癒するが、全身管理が不良であれば自然治癒せずに悪化し失明に至ることが多いとする〈証拠〉及び証人黒部信一の証言(以下これらを「黒部鑑定意見」という。)は何ら客観的な実験データに基づいたものではなく、他にこれを裏付ける的確な証拠もないので採用することができず、加えて前記第二の二に判示した事実並びに〈証拠〉によれば、瀧沢医師は、前記「東大小児科治療指針」を参考にしつつ原告弘美の全身状態の所見に応じて、原告弘美の低体温に対する措置として保育器内の温度を出生の翌日である昭和四六年一一月一八日から同年一二月一六日まで三三度に設定していること、栄養については同年一一月二二日午後五時に飢餓期間を解除して五パーセントのブドウ糖液三立方センチメートルの補給を、同日午後一一時から一五パーセントのミルクの補給を開始し、その後徐々に哺乳量を増加させていったことが認められ(右認定を覆すに足りる証拠はない。)、右各措置が乙第三一号証によって認められる当時の臨床医学の実践における医療水準に照らして、医師に委ねられた裁量を逸脱するような不合理なものであるとは認められない。よって、原告岡﨑らの右主張は採用することができない。

3  被告富士吉田市の責任

(一) 前記第二の三及び第三に判示したところによれば、原告征美の本症罹患と加賀谷医師が原告征美に対して行った酸素投与との間には、他に特段の事由の主張、立証がない以上、因果関係があると認めるのが相当である。

(二) そこで加賀谷医師が行った酸素投与法の当否について判断するに、前記第二の三に判示した事実及び証人加賀谷武の証言によれば、同医師は、ウォーリー・ガードナー法に従って中心性チアノーゼの有無を基準にして酸素投与を行い、原告征美には出生日の昭和四六年五月二一日には全身チアノーゼ、多呼吸、陥没呼吸、無呼吸、呻吟があったので毎分五リットルの酸素を投与し(同医師は原告征美を収容した保育器の場合、毎分五リットルの酸素を流しても四〇パーセント前後の濃度にしかならず、多くとも四五パーセントを超えないことをあらかじめ測定した経験から確認していた。)、翌二二日には一旦酸素を毎分二リットルに下げチアノーゼの発現を観察した上で毎分三リットルの投与量を決定し、同月二四日には早くも投与を中止していることが認められ(右認定を左右するに足りる証拠はない。)、当時一般的であった四〇パーセント以下の酸素をルーティンに投与し、投与を中止するときには漸減してゆく方法に比べ、より合理的な方法を採用しているのであって、原告征美の全身状態は前記判示のとおり当初全身チアノーゼ、多呼吸、陥没呼吸、無呼吸、呻吟があり相当な重症であり、その後も四肢末端チアノーゼが続いていることを併せ考えれば、同医師の酸素投与法には、当時の臨床医学の実践における医療水準に照らして、何ら医師に委ねられた裁量を逸脱するような不合理な点は認められないと言うべきである。よって、同医師が医療行為として実施した原告征美に対する酸素投与には原告征美に本症を発生させたことについての注意義務違反ないし過失を認めることはできない。

(三) 更に原告渡邊らは、加賀谷医師の原告征美に対する栄養管理及び体温管理はいずれも杜撰であり、これらに対し適切な保育措置、医療措置を講じておらず、同医師の原告征美に対する全身管理は当時の医療水準に照らして注意義務違反が認められる旨主張するので、この点につき判断する。

黒部鑑定意見が採用できないことは前記のとおりであるが、加えて前記第二の三に判示した事実並びに乙D第二号証の二及び証人加賀谷武の証言によれば、同医師は保育器内の温度を三〇度、湿度を九〇パーセントに設定しているところ、当初原告征美の体温は測定不能であると看護記録に記されているが、同医師は毎日触診により原告征美の体温が三五度を下回るような危険な低体温でないことを確認していること、栄養については同月二四日午後五時に飢餓期間を解除して五パーセントのブドウ糖液二立方センチメートルの補給を開始し、その後次第に増量し、同年六月二日からは一五パーセントのミルクの補給を開始し、その後次第に増量していることが認められ(右認定を覆すに足りる証拠はない。)、右の保温及び栄養補給の各措置は原告征美の全身状態の所見に応じて行われたものと認められ、乙第三一号証によって認められる当時の臨床医学の実践における医療水準に照らして、医師に委ねられた裁量を逸脱するような不合理なものであるとは認められない。よって、原告渡邊らの右主張は採用することができない。

(四) 前記第二の五及び第三に判示したところによれば、原告マミの本症罹患と渡辺医師が原告マミに対して行った酸素投与との間には、他に特段の事由の主張、立証がない以上、因果関係があると認めるのが相当である。

(五) そこで渡辺医師が行った酸素投与法の当否について判断するに、前記第二の五に判示した事実並びに乙D第六号証の二及び証人渡辺泰猛の証言によれば、同医師は、未熟児に対する過剰な酸素投与がRLFの原因になることを知っており、酸素濃度が四〇パーセントを超えないように注意しながら酸素投与を開始し(同医師は一、二か月に一度、ベックマン酸素濃度計により毎分の酸素流量と保育器内の酸素濃度の関係を確認しており、毎分五リットルのときは四〇パーセント前後、毎分三リットルのときは三〇パーセントは超えない、毎分一リットルのときは二二ないし二三パーセントであることを認識していた。)、その後も毎日酸素濃度を下げて原告マミの様子を観察し、症状が改善されない場合には酸素投与を継続し、症状の改善がみられたら投与量を漸減することなく直ちに中止するという方法を採用したことが認められ(右認定を覆すに足りる証拠はない。)、原告マミの全身状態が前記判示のとおり当初は全身の強度のチアノーゼや呼吸促迫を伴うなど相当な重症であり、その後も全身あるいは顔面のチアノーゼ、四肢の浮腫、低体温の状態が続いていることに鑑みれば、同医師が原告マミには酸素投与が必要であると判断したこと、酸素の投与期間、投与量を前記第二の五に判示のとおり決定したことには当時の臨床医学の実践における医療水準に照らして、何ら医師に委ねられた裁量を逸脱するような不合理な点は認められないと言うべきである。よって、同医師が医療行為として実施した原告マミに対する酸素投与には同原告に本症を発生させたことについての注意義務違反ないし過失を認めることはできない。

(六) 更に原告宮下らは、原告マミはしばしば低体温の状態になったのに、渡辺医師は保育器内の温度を三一度に設定しただけで保育器内の温度を更に上げる等の措置を講ぜず、同医師の原告マミに対する全身管理は当時の医療水準に照らして注意義務違反が認められる旨主張するので、この点につき判断する。

黒部鑑定意見が採用できないことは前記のとおりであるが、加えて前記第二の五に判示した事実並びに乙第三一号証及び証人渡辺泰猛の証言によれば、同医師が保育器内の温度を三一度に設定したのは、前記「東大小児科治療指針」(改訂第六版)に体重が一四〇〇グラムから二〇〇〇グラムの未熟児保育の際の保育器内の温度は三〇度とするのが目安である旨記されているのを参考にしたものであることが認められ(右認定を覆すに足りる証拠はない。)、右措置が乙第三一号証によって認められる当時の臨床医学の実践における医療水準に照らして、医師に委ねられた裁量を逸脱するような不合理なものであるとは認められない。よって、原告宮下らの右主張は採用することができない。

4  被告山梨県の責任

(一) 前記第二の四及び第三に判示したところによれば、原告剛の本症罹患と小松医師らが原告剛に対して行った酸素投与との間には、他に特段の事由の主張、立証がない以上、因果関係があると認めるのが相当である。

(二) そこで小松医師らが行った酸素投与法の当否について判断するに、前記第二の四に判示した事実並びに乙B第五号証及び証人小松幹司の証言によれば、同医師を含む山梨県立中央病院の小児科医らと看護婦は昭和四五年に同病院での未熟児看護基準を定め、酸素投与については四〇パーセント以下とするように申し合わせ、右基準に基づいて酸素濃度が四〇パーセントを超えないように(同医師らはあらかじめ毎分の酸素流量と保育器内の酸素濃度との関係について計測の結果、毎分四リットルのときは三七ないし三八パーセント、毎分三リットルのときは二七ないし三〇パーセント、毎分1.5リットルのときは約二四パーセントになることを確認していた。)前記第二の四判示のとおり毎分三リットルの流量で酸素投与を開始し、その後原告剛の全身状態に応じて投与量を増減させていき、漸減法により投与を中止したことが認められ(右認定を覆すに足りる証拠はない。)、原告剛の全身状態が前記判示のとおり当初から呼吸状態を始め相当に重症で、その後も顔面あるいは四肢のチアノーゼ、不規則呼吸、陥没呼吸、無呼吸、浮腫、黄疸、低体温の状態が続いていることに鑑みれば、同医師らが原告剛には酸素投与が必要であると判断したこと、酸素の投与期間、投与量を前記第二の四に判示のとおり決定したことには当時の臨床医学の実践における医療水準に照らして、何ら医師に委ねられた裁量を逸脱するような不合理な点は認められないと言うべきである。よって、同医師らが医療行為として実施した原告剛に対する酸素投与には原告剛に本症を発生させたことについての注意義務違反ないし過失を認めることはできない。

(三) 更に原告梶原らは、小松医師の原告剛に対する栄養管理は無用に長い飢餓期間をおくなど杜撰である上、低体温の状態もそのまま放置するなど保温措置も不十分であり、当時の医療水準に照らして注意義務違反が認められる旨主張するので、この点につき判断する。

黒部鑑定意見が採用できないことは前記のとおりであるが、加えて前記第二の四に判示した事実並びに乙B第二号証及び証人小松幹司の証言によれば、同医師らは、低体温に対する措置としては原告剛を保育器に収容した当初から保育器内の温度を三三度に設定しており、栄養については出生後三日間の飢餓期間を置いた後、昭和四七年一月二八日午後四時に五パーセントのブドウ糖液を三立方センチメートル補給し、同日午後七時から一五パーセントのミルクの補給を開始し、その後徐々に哺乳量を増加させていったことが認められ(右認定を覆すに足りる証拠はない。)、右の各措置は原告剛の全身状態の所見に応じて行われたものと認められ、乙第三一号証によって認められる当時の臨床医学の実践における医療水準に照らして、医師に委ねられた裁量を逸脱するような不合理なものであるとは認められない。よって、原告梶原らの右主張は採用することができない。

5  被告加納岩病院の責任

(一) 前記第二の六及び第三に判示したところによれば、原告紀子の本症罹患と中沢及び日野原両医師が原告紀子に対して行った酸素投与との間には、他に特段の事由の主張、立証がない以上、因果関係があると認めるのが相当である。

(二) そこで中沢及び日野原両医師が行った酸素投与法の当否について判断するに、前記第二の六に判示した事実及び証人日野原正幸の証言によれば、日野原医師は、酸素の過剰投与や酸素濃度の急激な変動はRLFの原因になると考えていたので、酸素濃度が四〇パーセントにならないように毎分三リットルの酸素投与を開始し(同医師は以前保育器内の酸素濃度を測定した経験から、毎分三リットルの流量では四〇パーセントの濃度に達しないことを認識していた。)、その後全身状態の改善に応じて投与量を漸減させていったことが認められ(右認定を覆すに足りる証拠はない。)、原告紀子の全身状態が前記判示のとおり出生当初は人工呼吸を行わなければならないような第Ⅰ度仮死で不規則呼吸やチアノーゼを伴うなど相当な重症であり、その後も全身の浮腫、強度の黄疸(なお、原告徐らは、黄疸は酸素投与の適応ではないと主張するが、甲第二九号証の一二によれば、当時黄疸が酸素投与の適応であるとする見解があったことも認められる。)、低体温の状態が続いていることに鑑みれば、同医師らが原告紀子には酸素投与が必要であると判断したこと、酸素の投与期間、投与量を前記第二の六に判示のとおり決定したことには、当時の臨床医学の実践における医療水準に照らして、何ら医師に委ねられた裁量を逸脱するような不合理な点は認められないと言うべきである。よって、同医師らが医療行為として実施した原告紀子に対する酸素投与には原告紀子に本症を発生させたことについての注意義務違反ないし過失を認めることはできない。

(三) 更に原告徐らは、原告紀子は低体温が続き栄養補給も不十分であった上、黄疸も発現しているが、同医師らはそれらに対し適切な保育措置、医療措置を講じておらず、同医師らの原告紀子に対する全身管理は当時の医療水準に照らして注意義務違反が認められる旨主張するので、この点につき判断する。

黒部鑑定意見が採用できないことは前記のとおりであるが、加えて前記第二の六に判示した事実並びに乙E第二号証の一、二及び証人日野原正幸の証言によれば、同医師らは原告紀子の低体温に対する措置として当初三〇度に設定した保育器内の温度を同日のうちに三二度に変更し、更に出生日の翌日の昭和四八年四月六日には三三から三四度に上昇させていること、栄養については二日間の飢餓期間を置いただけで同月七日には五パーセントのブドウ糖液の補給を、翌八日には哺乳を開始し、その後哺乳量を次第に増加させていったこと、黄疸に対しては酸素投与をするほか薬物としてフェノバルビタール(フェノバール)及び副腎皮質刺激ホルモン(コートロシンZ)を投与していることが認められ(右認定を覆すに足りる証拠はない。)、右の各措置は甲第三一号証の三、四及び乙第三一号証により認められる当時の臨床医学の実践における医療水準に照らして、医師に委ねられた裁量を逸脱するような不合理なものであるとは認められない。よって、原告徐らの右主張は採用することができない。

6  なお当裁判所の右1、2の(二)、(三)、3の(二)、(三)、(五)、(六)、4の(二)、(三)、5の(二)、(三)の各判断に反する証人黒部信一の証言並びに〈証拠〉は、後年においては未熟児医療の臨床の場で一般化するようになったものもあるが、昭和四六年から昭和四八年当時はいまだ臨床医学の実践における医療水準になっていたとは認められないPaO2を指標として酸素投与量を調節する方法(その補完としてのウォーリー・ガードナー法)や輸液療法を用いた栄養補給、保育器内温度の高温設定などの積極的な全身管理方法や同証人が独自に採用していた温水マットやブランケット等による保温方法が、当時既に通常一般の未熟児医療の臨床の場において実施されていたとみなすことを前提に原告児らの診療を担当した医師らの注意義務違反を指摘するものであり、その信用性は乏しいと言わなければならず、採用することができない。

三未熟児網膜症治療責任

前記第四に判示した事実によれば、本症の治療法としての光凝固及び冷凍凝固は、原告児らのうち最も出生が遅い原告紀子が本症に罹患した昭和四八年四月ころの時点においても、専門的医療機関の医師の間においてすら、有効な治療法として確立していたと認めることはできず、いまだ臨床医学の実践における医療水準にまで達していなかったことは明らかであると言わざるをえない。

したがって、原告児らの保育を担当した医師らには、いずれも原告児らに光凝固あるいは冷凍凝固を実施すべき注意義務はなく、また、光凝固あるいは冷凍凝固を実施することを前提とする原告児らの眼底検査をすべき注意義務もそれらを実施しうる他の専門的医療機関へ転院させる注意義務も同様に認めることはできない。更に病院の管理責任者において、光凝固あるいは冷凍凝固を実施できるように小児科医ないし産科医と眼科医の連携体制を整えたり、光凝固あるいは冷凍凝固を行うのに必要な器具を備えるべき注意義務を認めることができないことも同様である。よって、光凝固あるいは冷凍凝固による本症の治療に関する注意義務違反についての原告らの主張はいずれも採用することができない。

四期待権侵害の主張について

原告らは、一般に医師と患者の診療契約の内容には、単に当時の医療水準によった医療を施すというのみではなく、医療水準の如何にかかわらず真摯かつ誠実な医療を尽くすべき約が内包されており、医師が右の義務に反して粗雑・杜撰で不誠実な医療をしたときは、医師のその作為・不作為と対象たる病患について生じた結果との間に相当因果関係が認められなくても、医師はその不誠実な医療対応自体につき、患者の期待権を侵害したものとしてこれによって患者側に与えた精神的苦痛の慰謝に応ずる責任があるところ、原告児らの担当医師らが行った医療行為は杜撰・不誠実であった旨主張するので判断するに、医師には医療水準と無関係の法的義務があるかのごとき右の期待権侵害についての主張の当否はともかく、原告児らの各担当医師らの医療行為に杜撰・不誠実な点がないことは、前記第五の二、三に判示したところで明らかであるから、結局原告らの右主張は採用することができない。

五まとめ

右に判示したように、原告児らの診療を担当した医師ら及び病院の医療体制の管理責任者にいずれも注意義務違反ないし過失が認められない以上、右注意義務違反ないし過失の存在を前提とする被告甲府市、同富士吉田市、同山梨県及び同加納岩病院の債務不履行または不法行為に基づく損害賠償請求責任はいずれも認めることができない。

第六被告国の責任について

一原告児らに対する保育器内での酸素投与と本症の罹患による両眼の失明との間に因果関係を肯定することができることは、以上判示したとおりである。そこで、原告らの被告国に対する請求について判断する。

対する請求は、厚生大臣は、原告らのうちで最も早く出生した原告征美の出生時期である昭和四六年五月以前の段階において、既に本症は未熟児に過剰な酸素を投与することによって発生する疾患であること及び本症を完全に予防するための酸素投与法を知り、または知りうべきであったのであるから、本症予防のため、①未熟児に対する酸素の用法、用量に制約を加え、この制約を局方中の「添付文書またはその容器もしくは被包に記載するよう定められた事項」として定め、②用上の注意」として記載させ、③薬事法四二条一項に基づき酸素について必要な基準を設け、④医師法二四条の二に基づき医師に酸素の副作用情報を流し、医師に対し、保育器内における酸素の使用法に関し適切な指示を行い、⑤酸素投与に関する「使用上の注意」を保育器に表示させ、⑥保育器の使用方法等につき適切な行政指導をし、⑦保育器に酸素濃度分析器の設置を義務づけ、⑧薬事法四二条二項に基づき保育器の性状、品質、性能等に関し、必要な基準を設け、⑨指定養育医療機関の基準の中に酸素濃度分析器の設置を明文で定め、酸素投与管理のため、未熟児一人に対し、医師、看護婦を何人必要とするかについても具体的に定めるべきであったとし、右の措置が適切に取られていたならば原告児らが本症に罹患して失明することはなかったはずである旨の主張を根拠としている。

二前記第三の二に判示したとおり、原告征美が出生した昭和四六年五月から原告紀子が出生した昭和四八年四月までの間の一般の医師の本症についての知見は、四〇パーセント以下の酸素を投与していれば本症は発生しないという程度の認識であった。また、右の酸素投与法は酸素を四〇パーセント以下に制限したところ本症の発生が激減したという米国での疫学的経験に基づくものであり、一応の合理的な根拠を有していたのであるが、今日の眼からみれば、PaO2の測定をせずに四〇パーセント以下の酸素を全身状態の所見如何によりルーティンに投与するというような方法では不必要な酸素が投与されている場合もあるし、逆に必要な酸素が投与されていない場合もあるのであって、必ずしも適切な方法ではないとされていることも前記認定のとおりである。

そこで、厚生大臣が当時未熟児に対する酸素の供給について、本症の発生を予防するために未熟児の診療を担当する医師が準拠しうる何らかの基準を設定することができたかどうかを検討する。前記第三に判示したとおり、①本症の原因については、網膜の未熟性を素因とし、酸素及びその他多くの因子が誘因になっていると考えられているが、酸素以外の誘因についてはいまだ確定されたものがなく、また、本症の発生及び進行の機序についても当時はもちろん現在に至ってもなお解明されていないこと、②当時既に設備の整った先進的医療機関においてはPaO2を測定して酸素投与量を調節していたところもあるが、当時のPaO2の測定は今日一部の先進的医療機関で行われているような経皮的連続測定ではなかったので、未熟児の状態を正確に反映しているとは言い難い面があり、また、PaO2を指標にして酸素投与を決める方法にも前記第三の二の4の(三)に判示したような問題点があり、脳の低酸素血症をきたすほどには低くなく、本症を起こすほどには高くないPaO2値は現在においても不明であり、これを見出す努力が続けられている状況であること、③ウォーリー・ガードナー法はあくまでもPaO2の測定ができない場合の補充的な方法に過ぎず、また、この方法には前記第三の二の4の(二)に判示したような多くの問題点があること、④現在、経皮的に連続してPaO2をモニターしながら厳重な酸素管理のもとで未熟児を保育している施設でも、本症は依然発生し続けていること等に鑑みると、本症の発生を予防するための適切な酸素投与の基準は今日の医学知識を結集しても設定することが不可能であると言わざるをえない。現段階においても右のような状況であれば、PaO2について不完全な測定しかなしえなかった昭和四六年から昭和四八年当時、厚生大臣が仮に酸素投与についての何らかの基準を作定していたとしてもそのような基準が本症予防のための適切な指針とはなりえなかったことも明らかであると言わなければならない。

三原告らが厚生大臣が講ずるべきであった措置として指摘する前記一の各種の施策は、いずれも当時において本症に対する適切な予防法の基準が存在したことを前提とし、その基準の周知徹底を図るための方策であるか、あるいは酸素分析器の設置、保育器の性状、品質、性能等についての基準の設定、酸素投与管理のための病院における人員配置についての基準の設定など酸素投与の基準の臨床的実施方法に関するものであるが、以上判示したように本症に対する適切な予防法の基準は当時はもちろん今日においても存在しないのであるから、厚生大臣において本症の予防のため前記のような措置を講ずることはおよそ不可能であったと言うべきである。また一方、未熟児の全身状態は個々の患児によって千差万別であるから、酸素投与法について厚生大臣が一律の基準を設定してこれで医師の裁量の幅に制限を加えるのは未熟児医療の性質にそぐわない面が多分にあると思われる。以上の次第であるから、母子保健法及び昭和五四年改正前の薬事法には厚生大臣が規制権限を発動することが認められていない旨の被告国の主張の当否についての判断を示すまでもなく、以上判示したところから原告らの被告国に対する主張が理由のないものであることは明らかであると言うべきである。

第七結論

以上によれば、原告らの被告らに対する各請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官橋本英史 裁判官尾島明裁判長裁判官篠清は転補のため署名押印することができない。裁判官橋本英史)

別紙請求の趣旨目録

別紙

損害目録

被害者

損害額(円)

弁護士費用(円)

原告岡﨑弘美

四〇〇〇万

六〇〇万

原告岡﨑征好

五〇〇万

七五万

原告岡﨑ちえ

五〇〇万

七五万

原告渡邊征美

四〇〇〇万

六〇〇万

原告渡邊征雄

五〇〇万

七五万

原告渡邊一子

五〇〇万

七五万

原告梶原 剛

四〇〇〇万

六〇〇万

原告梶原東亜

五〇〇万

七五万

原告梶原静枝

五〇〇万

七五万

原告宮下マミ

四〇〇〇万

六〇〇万

原告宮下和文

五〇〇万

七五万

原告宮下一榮

五〇〇万

七五万

原告徐 紀子

四〇〇〇万

六〇〇万

徐 順子

一〇〇〇万

一五〇万

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